拍で数えることから始めます。「きらめくほしぞら」は八拍。名詞句としては短くありません。仮に地の文の一文が四十字前後で書かれているとして、この一句だけで文の相当な部分を占めることになる。字数ではなく拍を数えるのは、黙読でも内語のリズムが働くという考え方があるからで、実際に声に出して確かめると、この八拍は思ったより長く感じられます。ただし読む速度が本当に拍に比例するのかは分かりません。分からないまま、目安として拍を使っています。
次に密度。内容語と機能語の比率を語彙密度と呼びますが、この句は助詞を一つも挟まずに内容語が二つ続きます。局所的に密度が跳ね上がる。「煌めく星空が広がっていた」まで伸ばせば内容語は三つになり、しかも三つとも視覚に属する。情報量としては高い。ただし高いことは、速いことではありません。密度の高い箇所で読者は減速します。密度と速度は逆を向く。
だから問題は密度の値そのものではなく、分布のほうだと考えるようになりました。場面の頂点でだけ上げるなら、減速はそのまま強調として働く。全編がこの調子だと、減速が常態になって山が消えます。手を動かして確かめる方法は単純で、自分の原稿を一場面ぶん開き、修飾語と名詞が直結した高密度の句がいくつあるか数える。二つ以上見つかったら、少なくとも一つは解体候補と考えて差し支えありません。
数えていると、密度とは別の指標が顔を出します。連結の固定度です。修飾語と名詞が繰り返し同じ組で現れると、その二語は読者の側でほとんど一語として処理されるようになる。二語ぶんの長さを占めながら、一語ぶんの情報しか運ばない状態です。八拍かけて、実質的には「夜空」以上のことを言っていない。密度が高いという診断と、情報が薄いという診断が同時に成り立つ——この同居が、いわゆる手垢のついた表現の正体だと考えるようになりました。詰まっているのに軽い。
解体の仕方にも幅があります。情報を動詞の側へ移すのが一つ。「煌めく星空が広がっていた」を「星が、空のどこを見ても光っていた」と組み替えると、内容語の総数はさほど減らないのに、助詞と読点が入って密度が均されます。文は長くなる。長い文が読みにくいとは限りません。読みにくいのは、長い文ではなく、詰まった文です。ここを取り違えると、短く切ることばかりに向かって、かえって密度の高い断片が並ぶ結果になる。
とはいえ、密度が低ければよいという話でもない。薄い文が続けば今度は退屈が来ます。計るべきは平均ではなく分散のほうで、ここぞという一文だけを詰め、その前後を意図的に緩める。八拍の名詞句は、そのために取っておく資産です。手癖で置いてしまうと、いちばん効く場所に来たときにはもう効かない——読者はすでにその密度に慣らされているからです。使う回数を減らすことが、そのまま一回あたりの効きを上げる。計量文体論から得られる示唆は、たいていこの形をしています。