明治の小説を続けて読んでいると、登場人物がよく泣きます。現代のウェブ小説を読んだあとだと、その頻度の差が気になる。ただしこれは印象であって、数えたわけではありません。印象のまま先へ進むのは危ないので、少し角度を変えることにします。どれだけ多いのかではなく、この動詞が地の文でどう扱われてきたか、という角度です。
文語の時代、この語は単独で立つことができました。和歌でも軍記でも、人が泣いたと書けばそれで場面が成立する。感情の説明を必要としないのは、泣くという行為が定型のなかに置かれていたからです。誰がどういう場面で泣くかが読み手と共有されていれば、動詞一語で十分な情報量になる。言文一致の運動——二葉亭四迷の『浮雲』がよく引かれます——を経て地の文が話し言葉に近づくと、この一語がむき出しになりました。定型の支えを失った動詞は、単独では薄い。読者はその三文字だけを渡されても、何も受け取れなくなった。
ここで、素直な結論に行きたくなります。だから近代以降の作家は「泣いた」と書かなくなり、身体の細部で置き換えるようになった、と。実際そういう方向はあります。肩の動き、声のかすれ、顔を伏せる角度。感情語を避けて兆候だけを書く技法は、いまも創作の指南で繰り返し推奨されています。しかし読み返すと、そう単純でもない。近代の小説にも、この三文字はふつうに出てきます。避けられたのではなく、置かれる位置が変わった。長い描写に取って代わったわけではありません。そのあとに、確認のように置かれるようになりました。
見落としていた側面もあります。この動詞には他動詞化された形があり、涙を引き出す行為のほうを指せる。「泣かせる」という言い方が、大衆的な演劇や小説の批評語として長く使われてきたことは、「お涙頂戴」という慣用句が残っていることからも分かります。作品の側が読者を泣かせにかかっている、という視線です。近年では可能形が形容詞のように使われ、「泣ける」作品という言い方が定着しました。動詞が受け手の側へ回り込んで、作品の属性の名前になったわけです。同じ語が、人物の行為から作品の効能へと移動している。
表記のことも一度考えておく必要があります。この語には泣・鳴・啼という三つの漢字があり、かつては人にも啼の字が使われました。現在の書き分けは、人は泣、鳥獣は鳴、というふうにほぼ固定しています。表記が固定したということは、選択肢が消えたということでもある。いま「啼いた」と書けば、それだけで文体が古びるか、意図的な擬古として読まれる。書き手が手にできる調整幅は、この百年ほどで確実に狭くなりました。
そうやって並べてみると、残るのは頻度でも表記でもなく、位置の問題です。この三文字をどこに置くか。描写の前に置けば宣言になり、あとに置けば承認になる。前に置かれた場合、読者は続く描写を「泣いている状態の説明」として読みます。後ろに置かれた場合は、自分がすでに読み取ったものに名前が与えられたと感じる。同じ一語が、置き場所によって読者の作業の順番を入れ替えている。明治の小説で目立つのは、たぶん頻度そのものより、前に置かれた回数のほうです。