旧字体では「淚」と書きました。右側にあるのは「戾」で、戸と犬を組み合わせた字です。犬が戸のわずかな隙間から、身をよじるようにして抜け出る——字書ではそう説明されることが多く、そこから「ねじれる」「そむく」といった意味が生じたとされています。水を示す偏と結ばれたこの字が指しているのは、素直にまっすぐ落ちる水ではありません。ねじれ、絞り出されるようにして出てくる水です。常用漢字表が採った字形では右側が「戻」に整理され、犬が大に変わったため、この由来はもう字面からは読み取れなくなりました。字源説には異説もあって一つに決めることはできませんが、部品の選び方に「抑えられていたものが漏れる」という含みが仕込まれている点は、この語の後のふるまいと無関係ではないように見えます。
和語のほうの来歴は、漢字よりさらに不確かです。古くは清音で「なみた」だったとする見方があり、濁音化は後のことになります。語源については複数の説が出されてきましたが、どれも決定打を欠いています。参考になるのは、目の古い形が「ま」であったことで、これはまなこ、まぶた、まつげといった複合語に痕跡が残っています。「なみだ」の頭を目と関係づける説も昔から提出されてきたものの、定説にはなっていません。ただ、どの説を取っても共通しているのは、これがもともと器官と液体をめぐる名であって、感情の名ではないという点です。悲しみという意味は、あとから付いてきた。名詞の段階では、まだ何も語っていない語なのです。
そこに「する」が付くと、事情が変わります。和語の名詞にサ変動詞が直結する型は、日本語ではかなり限られています。漢語なら感動する、落涙する、と際限なく作れるのに、和語では恋する、旅するあたりでほぼ尽きてしまう。文語のサ変が残した痕跡であり、生産性をとうに失った古い型です。使える語が少ないということは、使った瞬間にその型自体が目立つということでもあります。日常会話からわずかに浮くのは、意味のせいではなく、この語形のせいです。同じ内容を運ぶ言い方はいくらでもあるのに、これだけが書き言葉の側に留まっている。
「泣く」と並べると差がはっきりします。泣くは声を含みうる動詞で、しゃくり上げも嗚咽もその内側に入る。主語の内面に踏み込み、動作として時間の幅を持ちます。対して涙する、が述べているのは目に見える結果だけです。声は消え、経過も省かれ、頬に水が伝ったという一点だけが残る。だから三人称の観察に向きます。派生形を見ると差はさらに明瞭で、涙ぐむ、の「ぐむ」は芽ぐむ、汗ばむと同類の接尾語であり、その状態が生じ始める段階を名指します。量が閾値に届かないところを指す語がすでにある以上、隣の語は自然と、届いてしまった後を引き受けることになる。
字が抱えていた「ねじれて絞り出される水」という像と、語形が背負った書き言葉らしさは、方向が揃っています。どちらも噴出ではなく抑制の側にある。感情が決壊する場面にこの語を置くと、語のほうが場面より冷静になってしまい、温度が合いません。逆に、泣いてはいけない場所で目だけが濡れる場面——葬儀の受付、判決の言い渡し、他人の結婚式——では過不足なく働きます。選ぶかどうかの判断は、その人物が声を出してよい立場にいるかどうかで決まります。