涙を拭う

【なみだをぬぐう】動詞句

使い分けの視点

「涙を拭う」は頬という面ではなく、取り去る涙を目的語にします。「頬を拭う」「目元を押さえる」は触れる場所へ、「雫を払う」「払い落とす」は動きの強さへ焦点を移します。拭っても新しい涙が湧くため、動作は終結ではなく止めようとする意志だけを示すと考えます。

同義語

同品詞の類義語

頬を拭う
目元を押さえる
袖で頬を擦る文芸的
雫を払う文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目尻に指を添える文芸的
ハンカチを当てる
頬の濡れを拭く文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

雨上がりの窓を拭くように文芸的
葉から雫を払うように文芸的
拭い去る所作のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

そっとcolloquial
やさしく

体言的言い換え

用言を体言に変換

拭い文芸的
ハンカチ

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

瞼の雫を払い落とす文芸的
頬の悲しみを掬い取る文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

止まらない源エッセイ関連

例文: 何度拭っても止まらない源が、母の瞳から新しい雫を送り出した。

供給が止まらない系で——冪等でない操作としての「拭う」

同じ操作を二度続けても、一度だけ施したときと結果が変わらない。そのような操作を冪等と呼びます。絶対値を取る操作がそれで、いったん絶対値にした数をもう一度絶対値にしても何も起きない。並んだものから重複を取り除く操作も同じで、二度目には何も減りません。理想化された「拭う」も、形としてはこれに近い。濡れた面から水を取り去れば面は乾き、乾いた面をもう一度拭っても変化はない。ところが相手が涙になると、この性質はきれいに崩れます。崩れ方を追っていくと、この動詞が日本語の中で担っている役割が、かなり正確に説明できます。

崩れる理由は、対象に湧出源があるからです。拭う操作は面の水を減らしますが、減らしている間にも新しい水が供給される。減少と供給が同時に走る系では、一回の効果は次の瞬間に部分的に打ち消されます。ここで注意がいるのは、残った量を数列として並べたとき、値が小さくなり続けることとゼロに到達することが別だという点です。一、二分の一、三分の一と続く数列は限りなくゼロに近づきますが、どの項もゼロではない。下限がゼロであることと、ゼロを取ることは違う。単調に減ることは、到達を何も保証しません。

操作を繰り返しても状態が変わらなくなる点を、不動点と呼びます。泣き止むというのは、この系が不動点に落ち着くことです。重要なのは、そこへ到達するかどうかを決めているのが拭う側の努力ではなく、供給が止まるかどうかだという点になります。どれほど丁寧に手を動かしても、源が動いている限り系は動き続ける。おまけに拭う側が持ち込む資源は有限です。ハンカチの吸収量には上限があり、上限に達した布はもう水を取り除く働きをせず、面から面へ移すだけのものになる。慰める側の手つきが状況を変えないのは、感情の問題である以前に、系の構造の問題です。

項の構造も見ておきます。「拭く」の目的語は面のほうで、床を拭く、窓を拭く、と言います。対して「拭う」の目的語は取り去られる側で、汗を拭う、埃を拭う、となる。同じ動作を、定義域を入れ替えて記述しているわけです。この差が効いてくるのは、対象が抽象的になったときでした。汚名を拭う、不安を拭う、疑いを拭う——実際に目にするのは「拭えない」「拭いきれない」のほうが多い。差し引いても残る量を残差と呼びますが、抽象的な対象では残差がゼロにならないことが、あらかじめ前提として組み込まれている。物理的な面なら乾くところまで行けるのに、記憶や評判では行けません。

だから場面の締めくくりにこの動作を置くと、収束したように見えて実は収束していない、という食い違いが生じます。拭って立ち上がった、と書けば区切りがついたように読めますが、系としては供給が止まった保証がどこにもない。本当に区切りを付けたいなら、拭う動作ではなく供給が止まった証拠——呼吸が整った、声が普通の高さに戻った——を書く必要があります。この動作そのものが示せるのは、意志があることだけです。減らそうとしている、というその一点だけ。逆に言えば、まだ止まっていないことを示したい場面では、これほど正確な動詞もありません。

文: hakadoru.ai 編集部

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