欲望

【よくぼう】名詞

使い分けの視点

「欲望」は、具体的な「欲しい」より抽象度が高く、人物を外から分類する視点を伴います。渇きや飢えの比喩は身体へ、願望や切望は対象へ、情動や衝動は動きの強さへ焦点を置きます。台詞に使う場合は、その硬い語彙を人物が持つ理由も支えてください。

同義語

同品詞の類義語

欲
渇望文芸的
飢渇文芸的
情動文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

飢えた胸の叫び文芸的
手に入れたいという衝動
胸を焼く疼き文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

渇いた喉のような文芸的
ひもじい獣のような文芸的
燃え盛る炎のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

焦がれる文芸的
飢える
求めてやまない文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

渇き文芸的
切望文芸的
願望
衝動

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

名づけられた飢えエッセイ関連

例文: 名づけられた飢えは、王子に自らの野心を恐れさせた。

話し言葉が使わない語——階の違う棚から降りてきたもの

会話を録音して書き起こすと、そこから消えている語があります。「欲望」はその一つで、日常の話し声のなかでこの四拍を口にする人はほとんどいません。欲しい、買いたい、食べたい、あれが要る。欲求そのものは絶えず語られているのに、それを名指す語だけが使われない。ところが書き言葉に移ると事情が変わります。評論の見出しにも、小説の地の文にも、この語は珍しくない。同じ日本語のなかに、話し言葉が避けて書き言葉が引き受ける層がある。方言差でも世代差でもなく、話すか書くかという回路の違いで語彙が入れ替わっている。

段差の理由は、この語が降りてきた場所にあります。「欲」のほうは生活語です。食欲、欲が深い、欲を出す、欲張り——身体や金銭に貼りついて、いつも具体的な対象を持っている。一方「欲望」は、近代以降に学術の文脈で鍛えられた抽象名詞の層に属します。経済学が人間の欲求を体系として扱い、心理学や精神分析が意識の外側と結びつけて論じるなかで、この語は分析される対象の名として使われてきました。二字目の「望」は遠くを見やる字で、そもそも手の届かない距離を含んでいる。語のほうが、それを外から眺める位置を連れてきます。

台詞に置いてみると、位相差ははっきりします。「あいつの欲望が」と言う人物は限られる。学者、聖職者、あるいは自分を材料のように扱う癖のある人物。悪役が演説で使うと様になるのは、悪役が自分の行動を体系として語りたがるからです。逆に、ごく普通の勤め人にこの語を言わせると、その一語だけが台詞から浮き上がる。同じ人物なら「そんなに欲しいのか」と言うはずのところに、「それがお前の欲望か」と書いてしまう。役者が発音しにくい台詞というものがありますが、これは発音の難しさではなく、語彙の階が合わないことによる浮き方です。

では地の文なら無害か。ここは詰めておきたい。三人称で「彼の欲望は」と書いた瞬間、語り手は人物の内側を分類できる位置に立ちます。人物と同じ高さを歩いていた語りが、一段上がる。一人称ならもっと露骨で、その語を選んだ時点で、その人物は自分の飢えに学術の名札を貼れる語彙をすでに持っていることになります。飢えている最中の人間は、たいてい自分の状態に名前をつけません。名前をつけられるのは、飢えが済んだ後か、飢えていない側からです。地の文もまた安全地帯とはいえず、位相はそのまま語りの高度計として働きます。

この段差は、避けるべき欠陥ではなく使える資源です。同じ場面を「欲しかった」で書くか「欲望だった」で書くか——それは意味の選択ではなく、視点の高さを一段変えるスイッチになる。連載の長い作品なら、序盤は生活語だけで押し通し、人物が自分を客観視できるようになった回で初めてこの語を出す、という配置ができます。語彙の位相を、人物が自分をどこから見ているかの目盛りに使う。逆に、若い人物にこの語を早々と使わせたいなら、その語彙をどこで仕入れたのかを一行だけ用意しておけばいい。辞書の上では同義でも、口に出せるかどうかで人物は別人になります。

文: hakadoru.ai 編集部

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