案の定

【あんのじょう】接続詞

使い分けの視点

「案の定」は、先に立てた見込みと結果を漢字の輪郭で結び、読者の目を一度止めます。「やっぱり」は会話を軽く流し、「予想通り」は中立的、「案じた通り」は悪い的中への心配を含みます。誰がいつ予測したかを前段に置くと、的中の苦さや満足がはっきりします。

同義語

同品詞の類義語

果たして文芸的
予想通り
思った通り
やっぱりcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

予期した通り文芸的
図星でcolloquial
読み通り

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

やはり文芸的
案じた通り文芸的
思った通りcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

視線を止めるエッセイ関連

例文: 大臣は報告書の「案の定」に視線を止めた後、予言者の処分欄を閉じた。

案外エッセイ関連

例文: 罠だと身構えた洞窟の中は案外暖かく、旅人は拍子抜けした。

仮名の中で漢字だけが立っている

やはり、やっぱり、案の定。同じような事態を告げる三つを並べると、最後だけ字面が違って見えます。前の二つは仮名で流れ、最後は漢字が二つ、途中に助詞をはさんで立っている。副詞は現代の公用文や新聞の表記基準では仮名書きにされることが多く、さらに、ほとんど、あらかじめといった語は仮名へ均されてきました。それなのに、この語だけは漢字表記のまま残っている。表記の趨勢に逆らって残るものには、たいてい理由があります。

一つは実用的な理由でしょう。仮名にすると読みにくいのです。あんのじょう、と六つの仮名が並ぶと、どこが語幹でどこが助詞なのか、目が滑ります。漢語二字を助詞でつないだ構造は、漢字にしておけば切れ目が視覚的に確定する。表記の選択が、そのまま語構造の表示を兼ねている。似た事情は「思いのほか」にもありますが、あちらは前半が和語なので仮名でも切れ目が見え、実際に仮名書きが優勢になりました。仮名に開けるかどうかは、語の作りに左右されているようです。

制度の側からも見ておきます。戦後の表記は一九四六年の当用漢字表で大きく整理され、一九八一年の常用漢字表、二〇一〇年の改定へと引き継がれてきました。仮名へ均された副詞の多くは、表に載らない字を抱えていた語です。とにかく、すこぶる。どちらも漢字表記には表外の字が入り、書ける範囲から外れました。ところがこの語の二字は、どちらも表の内側にあります。制度は漢字で書くことを妨げていない。一方で、あらかじめ、のように表に載る訓を持ちながら仮名が優勢になった語もある。制度が引いた線と、実際に残った表記の線は一致していないわけです。使える範囲を決めるところまでが制度の仕事で、その中のどれを選ぶかは、読みやすさと慣れが決めてきたことになります。新聞や公用文の内規が副詞を仮名へ寄せてきた目的も、書ける字の範囲を示すことより、読み手の目の運びを揃えることのほうにありました。

構造そのものも少し変わっています。案は思案の案。ただしこの字の原義は木製の台、つまり机だったとされ、そこから、机に向かって考える、考えた中身、という方向へ広がったと説明されます。定は呉音でジョウ。同じ字が「安定」ではテイと読まれるのに、ここではジョウのまま残っている。呉音は漢音より古い層の音とされますから、この語形がかなり古いところから来ていることの目印になります。机の上で立てた見込みが、そのとおりに定まる。二字のあいだに、意味の骨格がほぼそのまま見えている。

同じジョウの読みを持つ語を並べると、親類の顔ぶれも見えてきます。勘定、必定、定石。とりわけ必定は、必ずそうなると定まっている、という意味で、予期の的中を述べる点までよく似ています。それでも片方は硬い文語の匂いを残し、片方は日常の会話にまで降りてきた。分けたのは意味ではなく形でしょう。二字が直結した必定に対し、この語は真ん中に仮名の助詞を一つ抱えています。漢字、仮名、漢字と交替する三つの部品。この交替が語を読みやすくし、口にも乗りやすくしたと考えられます。二字熟語のまま固まった語は文章語に留まり、助詞を抱えた語は話し言葉へ降りていく。表記の形と、語が住みつく位相とは、どうやら無関係ではありません。

気になるのは、同じ「案」を持つ「案外」との関係です。片方は予想が外れることを、片方は予想が当たることを言う。外と定という一字が、そのまま結果を分けている。表記が意味の分岐を抱えている珍しい例に見えます——ただ、これは言いすぎかもしれません。二語が対をなすように作られた証拠はありませんし、別々に成立したものがたまたま揃っただけとも考えられる。語誌としてどうだったかは、わからない。

それでも残るものがあります。書き手が漢字表記を選んだその瞬間に、この対は読者の目の前に立ち上がる、ということです。成り立ちがどうであれ、字面が並べば効果は生じる。だから実務としては、意味ではなく速度の問題として扱うのがよさそうです。やっぱり、は流れる。仮名は視線を止めません。対して漢字表記のこの語は、そこで一度視線を止め、書き手が事態を予期していたことを読者に確認させる。的中が苦い場合はなおさらで、止まった分だけ苦さが長く残ります。同じ結末を告げる文でも、どちらを選ぶかで一文の重さが変わる。地の文で選んでいるのは意味ではなく、読者の目が止まるかどうかのほうです。

文: hakadoru.ai 編集部

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