「ふあんてい」は五拍です。連体形にすれば「ふあんていな」で六拍になり、その後ろに被修飾語がつながる。「不安定な足場」で九拍。同じ状態を和語で言えば「ぐらつく足場」で七拍、しかも修飾部が動詞です。拍を数えるという作業は身も蓋もなく見えますが、地の文の速度はこの種の差の累積で決まります。一文のなかで三字四字の漢語を二つ使えば、それだけで十数拍が状態の名づけに費やされ、その分だけ出来事を書く余地が減る。文字数の上では一字二字しか増えていないのに、読む側の負荷は文字数に比例しません。
こうした漢語は、情報の圧縮率が高い語です。短い字数に判断まで畳み込んでいるぶん、展開に手間がかかる。「政情は不安定だ」という七文字の文には、揺れの方向も速度も周期も入っていません。読者はそれを自分で補う。補える読者にとっては効率のよい記述で、補えない読者には空白のまま通過する。密度の高い文章が難しく感じられるのは、語数が多いからではなく、展開作業が読者側に移譲されているからです。
置く位置によっても勘定は変わります。述語位置なら「政情は不安定だ」で文を短く閉じ、連体位置なら「不安定な政情が続いている」のように修飾部を伸ばして文を長くする。同一の語が、置き場所によって文の尺を両方向へ動かすわけです。加えて、この三字は「不安」と「定」に切れるようにも見えますが、構成はそうではなく、「安定」に打ち消しの一字が乗った形です。四拍の「あんてい」に一拍を足しただけなのに、黙読では前の二字で別の語をいったん経由してしまうことがある。拍の勘定と字面の勘定は、必ずしも一致しません。
和語で打ち消しを開いてみると、数字はさらに動きます。安定していない、と言えば、あ・ん・て・い・し・て・い・な・い で九拍。三字の漢語なら五拍で済んだものが、ほぼ倍に膨らみます。一字の接頭辞が四拍ぶんを節約している計算になる。圧縮率が高いというのは、この節約の分量のことです。ただし節約されたのは音の長さだけで、意味の側では逆のことが起きている——安定していない、には安定という基準が文面に残っていて、読者はそこからの距離として状態を測れます。三字に畳んでしまうと基準は語の内側へ隠れ、目盛りが見えなくなる。短くすることと、読者に材料を渡すことは、しばしば逆を向きます。どちらを取るかは、その一文が説明の文なのか、場面の文なのかで決まる。
書き換えを三つ並べてみると差が測りやすくなります。「政情は不安定だ」「政情は落ち着かない」「政情が揺れている」。一つめは状態を名詞的に名づけ、二つめは否定によって状態を述べ、三つめは進行する運動として書いています。三つめだけが時間軸を含み、続く文で「いつから」「どこへ向かって」を受けられる。名づけは文をそこで閉じ、運動の記述は文を次へ開く。段落単位で漢語の比率を意図的に上下させると、この開閉のリズムを設計できます。
動詞化の可否にも、はっきりした非対称があります。安定する、とは言えるのに、不安定する、とは言えない。打ち消しの一字が乗った時点で、この語はサ変への道を塞がれています。運動として書きたければ、不安定化する、と一字挟んで八拍にするか、別の語へ乗り換えるしかありません。揺れる、ぐらつく、定まらない——どれも拍は増えますが、増えたぶんだけ文が次へ続きます。名づけと運動のどちらを選ぶかは文体の好みだと言われがちですが、少なくともこの語については、好みの手前で語形が選択肢を減らしている。三つの書き換えに見えた差は、書き手の判断の差である前に、語形が許す構文の差でもあったわけです。ついでに言えば、不安定化という四字は行政や報道の文体に寄っていて、地の文へ持ち込むと別の場所の匂いを連れてきます。八拍に伸ばした代償として、語り手の位置まで動いてしまう。
数えることで文体が作れるわけではありません。数値が教えてくれるのは癖の所在だけです。ある書き手は状態をひたすら漢語で名づけ、別の書き手は同じ状態を動詞の連続で運動として書く——どちらが良いという話ではなく、一つの段落のなかで無自覚に混ざっていると、読者は文の速度を予測できなくなる。自分の原稿を一段落だけ抜き出して、三字以上の漢語に印をつけ、拍を数える。三十分で終わる作業で、たいていの書き手は自分が思っているより多くの状態語を名詞で処理していることに気づきます。