「お断りしておきますが」と前置きされて、拒絶されたと受け取る人はいません。これから話すことについて、あらかじめ筋を通しておく、という意味の合図です。同じ語形が、拒絶と予告という遠く見える二つの用法を抱えている。「無断で持ち出す」の「断」も後者で、許可を求めなかったという意味であって、拒まなかったという意味ではありません。語源については、事を割って説明する意の「事割る」に由来するという説がよく紹介されますが、確定したものではなく、複数の説があります。ただ、用法の分布を眺めるかぎり、筋を通す側が広く、拒絶がそこから立ち上がったと考えると収まりはよい。
実際の文章でこの語がどう現れるかを見ると、まず目につくのは目的語の偏りです。ヲ格に立つのは、申し出、誘い、依頼、注文、縁談といった、行為や提案を指す名詞にほぼ限られます。人そのものは立ちにくく、「彼を断る」はぎこちなく、「彼の申し出を断る」なら通る。拒む対象が人ではなく、人が差し出したものである——その構造が語の内側に埋め込まれています。同じ拒絶でも「拒む」は人を目的語に取りやすく、「はねつける」はさらに直接的です。三語のあいだにある距離は、強さの度合いの差というより、矛先をどこに向けるかの差なのです。
共起のもうひとつの特徴は、丁寧さの階梯が徹底して定型化していることです。せっかくですが、あいにく、ご期待に添えず。この動詞の前後に来る表現は、驚くほど狭い範囲に集中します。語の出現頻度は一般に、ごく少数の型が全体の大半を占め、残りが長い尾を引く形に偏りますが、断りの表現はその偏りが特に強い部類でしょう。理由は難しくありません。断りは相手の面目を保つ配慮を要する発話であり、失敗したときの代償が大きい。代償の大きい場面で人は既成の型に寄ります。定型は、安全のために何世代もかけて磨かれてきた道具です。
修飾語の側にも、はっきりした二極化が見られます。この動詞に付く副詞を思い浮かべると、きっぱり、はっきり、にべもなく、という強さの側と、やんわり、それとなく、といった弱さの側に分かれ、中間の目盛りがほとんど空いている。断り方には強いか弱いかしかなく、ほどほどに断るという表現がうまく作れないのです。これは意味の性質というより、この行為が置かれている社会的な位置を映しているのでしょう。断りは関係を保つか損なうかの分岐点にあるので、聞き手はまず強度を知りたがる。強度を最初に伝える語が優先的に磨かれ、中間の微妙さを表す語は育たなかった。同じ理由で、受身の「断られる」は能動形より心理描写を伴いやすく、拒む側ではなく拒まれた側に視点を渡す働きをします。
そのことは、断る場面を書くときの制約として跳ね返ってきます。型どおりに書けば会話は自然になりますが、自然なだけで出来事になりません。読者は型を型として読み飛ばす。逆に、型から一語だけ外すと、そこだけが異物として残ります。理由を述べない、謝罪を省く、こちらから先に話題を変える、あるいは型を最後まで丁寧に言い切ってから沈黙する。断りが物語の転回点になるのは、断った内容が重いからではなく、その人物が型のどこを守り、どこを破ったかが見えるからです。頻度の高い表現ほど、逸脱の情報量が大きくなる——分布の偏りは、書き手にとっては制約であると同時に、ただ一語で効かせるための元手でもあります。