明治二十年前後、二葉亭四迷の『浮雲』のように、話し言葉に近い文体で地の文を書く試みが現れました。言文一致と呼ばれる動きです。地の文が口語になるというのは、語尾が変わるというだけの話ではありません。それまで文語が担っていた抽象度の高い語彙を、日常の言葉で置き換える必要が生じる、ということでもある。人が望みを手放す場面をどう書くかも、そこで組み直されました。詩歌や漢文脈が用意していた表現の在庫が、いったん使えなくなったからです。
文語が持っていた言い回しを並べてみると、何が失われたのかの見当がつきます。是非もなし、已むを得ず、力及ばず、詮方なし。どれも手を離すことを言う定型ですが、共通しているのは、根拠を状況の側へ置いている点です。理も非もない、力が足りない、方法がない。判断の理由が話者の外にあり、話者はそれを報告する位置に立っている。口語の和語一語には、この外部化の機能がありません。誰が何を根拠に手を離したのかは、語形のどこにも書かれていない。文語の側の言い回しが失われたというのは、語彙が減ったということではなく、語彙が担っていた情報の置き場所が移ったということでした。移った先は文脈です——そして、そこは辞書に登録しておける場所ではありません。書き手は毎回、その場で組み立て直すことになります。
現代語には、同じ事態を指す語が文体域ごとに並んでいます。断念する、放棄する。漢語で、書面や公的な文脈に馴染む。匙を投げる、見切りをつける。慣用句で、話し言葉寄りに響く。そして和語の一語がその中央にあって、心の内側を書くときに選ばれる。近代日本語は漢語と和語を役割で分けました。分業が成立したおかげで、同じ内容が、どの層の言葉で書かれるかによって公的にも私的にもなる。小説の地の文が口語を選んだということは、この中央の一語に大きな負荷がかかるようになった、ということでもあります。
語源には複数の説があります。古語の「あきらむ」には「明らかにする」「心を晴らす」の意があったとされ、仏教語の「諦」が真理を意味することとの関係も指摘されています。どの筋道で現代の意味に至ったのかを断定することはできません。ただ、現代語の側に痕跡は残っています。この動詞は、単に手を離すことではなく、見極めた上で手を離すという含みを保ち続けている。類義とされる「投げ出す」との距離は、そこから測れます。投げ出すには見極めの過程が要りません。
文語と口語で語感が反転する例でもあります。古典語の「思ひ切る」は、切るという動作を含むぶん、意志の働きが前に出る。手を下している感じがある。対して現代語の和語形は受動的に響き、力尽きた結果のように読まれることがあります。同じ事態を指しながら、決意にも敗北にも見える。近代以降の小説が、望みを手放す人物を繰り返し描いてきたことを思えば、この両義性は扱いやすくもあり、厄介でもあったはずです。作中で一語だけ置かれたとき、読者がどちらに倒すかは書き手の統制の外にある。
地の文の口語化には、視点の側にも副作用がありました。文語で書かれていれば、地の文の語彙と人物の心内語は、はっきり別の層に属しています。口語で書けば、両者は同じ語で書かれてしまう。諦めた、と地の文に一語だけ置かれたとき、それが語り手の要約なのか、人物が自分に言い聞かせた言葉なのかは、形の上では区別がつきません。人物の側の言葉なら、それは宣言であって、まだ手が離れきっていない可能性を含みます。語り手の要約なら、事態はとうに終わっている。同じ一語が、どちらの層に属するかで、出来事の時間の位置まで変えてしまう。近代の小説がこの曖昧さを持て余さずに使えるようになるまでには、それなりの年数がかかったはずです。文語であれば、層の違いは語彙のほうが勝手に示してくれました。口語では、示す仕事が書き手の手元に残ります。
だから、その一語の手前に何を置くかが問題になります。「諦めた」とだけ書かれた文は、補完を読者に任せています。見極めたのか、消耗したのか。補い方は読者によって違い、書き手の想定と平気でずれる。手前に、その人物が何を見たのかを一つ置けば足ります。見たものがあれば見極めになり、なければ消耗になる。断念の質は動詞そのものではなく、直前の一文で決まる。文語が語彙の側で分けていた区別を、口語の小説は文脈の側で作り直すことになりました。