去る

【さる】連体詞

使い分けの視点

ここでの「去る」は動詞ではなく、日付や期間の前にだけ立つ連体詞です。後続語が極端に狭く、置いた一文だけが公示・報道・式辞の声へ変わります。通常の地の文では位相の飛躍に注意し、人物が感情を避けて事務的な口調へ逃げ込む場面など、書面の声へ切り替える意図があるときに使います。

同義語

同品詞の類義語

先の
過ぎし文芸的
在りし文芸的
過日の文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

過ぎ去った
幾日か前の
つい先頃の

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

他ならぬ先の文芸的
つい過日の文芸的
記憶も新しい

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

書面の声へ切り替えるエッセイ関連

例文: 父は書面の声へ切り替えると、娘の失踪を「先の件」とだけ呼んだ。

後ろに来る語が二種類しかない、という事実から

ある語の直後にどれだけ多様な語が来られるか——その散らばりを測ると、語ごとにずいぶん差が出ます。「大きな」の後ろには名詞が無数に続きますが、後続の選択肢がほとんど一種類しかない語もある。連体詞として使われるときのこの二文字は、その極端な例です。後ろに来るのは日付か曜日か、期間を指す名詞に限られる。それ以外の名詞をつなげようとすると、読み手はすぐに動詞の連体形として解釈し直します。

この狭さは、機械にとって都合がよく、同時に厄介でもあります。都合がよいのは、後続語を見れば品詞が決まるからです。厄介なのは、動詞の連体形とまったく同じ形をしていて、左側の文脈からは区別がつかないこと。形態素解析の側は右を見て決めるほかありません。人間の読者も同じことをしていて、この二文字を読んだ時点ではまだ判断を保留し、次の語で確定させている。読解の途中に、ごく短い未決の区間があるわけです。

後続の多様性という物差しには、それなりの由緒があります。ある位置の直後にどれだけ多くの種類の要素が現れうるかを数え、散らばりが急に大きくなるところを語の切れ目とみなす——構造言語学の時代から使われてきた発想で、辞書を持たない機械に語を切らせる手法の下敷きにもなりました。人が単語を単語として感じるのは、そこで次に来るものの見当がつかなくなるからだ、という考え方です。この物差しを当てると、連体詞のこの二文字は切れ目らしく見えません。後続がほとんど決まっているので、散らばりが立たない。機械の目には、続く日付までをひとつながりの塊として扱うほうが自然に映ります。読者が一瞬だけ判断を保留するのも、裏側から見れば同じ事情です。

意味のほうを見ると、ねじれがあります。動詞として使うとき、離れていくのは人や物です。誰かが部屋を去る。ところが連体詞のほうは、離れていくものが時間であって、しかも主語として表に出てきません。同じ形をした二つの用法で、動く主体が入れ替わっている。「去る者は日々に疎し」という諺が指しているのは人ですが、「去る十日」が指しているのは日付のほうです。二つの用法を並べて初めて、この語の中身が入れ替わっていることに気づきます。ふだんは並べる機会がないので、気づかれないまま両方が使われている。同じ二文字が、人を運ぶ用法と日付を運ぶ用法に分かれ、しかもどちらの側にも相手方の記憶がありません。

ここで引っかかるのは、なぜ選択肢がこれほど狭まったのか、です。単純に考えれば、意味が「過ぎ去った」なのだから時間表現としか結びつかない、で済みそうに見える。しかしそれなら「過ぎた」「先の」も同じくらい狭いはずですが、実際にはもっと広く使えます。原因は意味ではなく、使われる場面の側にありそうです。この形が生き残っているのは、公示・報道・式辞といった、日付を正確に述べる必要のある文書のなかです。用途の限られた場所に残った語は、その場所の共起パターンごと保存される——意味が狭めたのではなく、生息域が狭めた。頻度の表を全体で作れば、この形はほとんど目に入りません。ところが官報や社告に限って数え直せば、順位は跳ね上がる。ジャンルを分けずに数えることが、こういう語をいちばん取り逃がします。

そう考えると、対になる語の存在が示唆的です。同じ構文で未来を指す形があり、こちらも後続は日付表現にほぼ限られます。二語が対称的に、しかも同じ文書ジャンルのなかだけで生き延びている。孤立した化石ではなく、小さな体系がそのまま残っている状態です。片方だけを日常語に引き戻すことができないのも、そのためでしょう。しかも二語は字数まで揃っていて、過去の日付と予定の日付が、同じ長さの部品として同じ位置に収まる。活字を組む側の都合とも、どこかで噛み合っていたのかもしれません。

創作の側から見ると、これは扱いの難しい道具になります。地の文にこの二文字を置いた瞬間、その一文だけが書面の声になる。語り手が急に事務的な口調へ移り、読者はどこか別の文書を読まされている感覚を持ちます。多くの場合それは事故ですが、意図してやれば、人物が公的な言葉づかいに逃げ込んだ瞬間を、たった二文字で示せる。弔辞や式辞の原稿を手にした人物のまわりで地の文まで硬くなるなら、その硬さは緊張として読まれ、位相の切り替えは語り手ではなく人物の側に帰属します。共起の狭さは制約であると同時に、位相を一点で切り替えるための精度でもあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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