専門書の巻末索引で、探している事柄がどうしても見つからないことがあります。索引には語が整然と並び、ページ番号も正確です。それでも当たらないのは、その本が実際に扱っていたものが、一語の見出しになっていなかったからでした。探していた事柄は数ページにまたがって説明されていて、名前を持っていない。索引が保証するのは語の一致であって、内容の所在ではありません。検索の言葉でいえば、拾ったものはすべて正しいのに、拾うべきものの大半が網の外にある状態です。適合率だけが高く、再現率が低い。この非対称は紙の索引を離れても、語を単位にして内容を探すという方法そのものについて回ります。
長編の原稿を全文検索にかけて、恐怖を扱った箇所を洗い出そうとしたことがあります。検索エンジンは形態素解析器を通して語を切り、活用形を基本形に寄せ、転置索引に登録する。だから「怖かった」も「怖くて」も同じ見出しの下に集まりますし、表記の揺れも辞書側で吸収できます——ちなみに常用漢字表がこの訓を与えているのは「怖」のほうで、「恐」に同じ訓は載っていません。検索は、期待どおり正確に働きました。そして、期待していたものは何ひとつ出てこなかった。読んでいて背筋が冷えた場面には、この語が一度も現れていなかったのです。
では恐怖はどこに書かれていたのか。情報理論の道具をひとつ借りると、ある事象の自己情報量は生起確率の対数の符号を反転した量として定義され、めったに起きないことほど大きな値になります。確率が半分になれば値は一ビット増える、というのが定義の中身です。読者の予測を裏切る事象ほど情報量が大きい。物音が突然鳴る、閉じたはずの扉が開いている。この量を最大化する設計が、いわゆる驚かせ方の技術になります。索引に載らない恐怖は、語彙ではなく確率分布の側にある、という説明はきれいに見えました。
きれいすぎたと思います。実際に読み返すと、もっとも冷えた箇所は、驚きの小さい場面のほうでした。階段を一段ずつ上がる。誰もいないはずの部屋の前で立ち止まる。読者はこの先に何が起きるかをほぼ正確に予測していて、その予測は当たる。自己情報量で測れば、ここは低い値しか出ません。予測が外れることが恐怖なのだと言った直後に、予測が当たることの恐怖に足をすくわれる。単発の事象の珍しさでは、この落差を説明できない。
そこで測る対象を一段ずらします。個々の事象の確率ではなく、確率分布そのものへの信頼を見る。読者は読みながら作品世界のモデルを更新していて、そのモデルがどれだけ当てになるかも同時に見積もっています。安全だと思っていた場所で一度だけ約束が破られると、事象そのものは小さくても、モデル全体の信頼が落ちる。以後はどの予測にも幅がついてまわり、階段を上がるだけの場面が耐えがたくなる。圧縮の言葉でいえば、符号長の問題ではなく、符号表そのものが疑わしくなった状態です。
モデルの初期値がどこから来るのか、という問題も残っています。読者はページを開く前から、ある程度の見当を持っている。表紙の惹句、置かれていた棚、あらかじめ聞いていた評判。これらは作品の内部には一行も書かれていないのに、最初の予測分布を決めてしまいます。同じ場面が、恐ろしい話だと知って読む場合と、知らずに読む場合とで別の重さを持つのはそのためです。書き手が触れるのは、この初期値の上に載る更新のほうだけになる。ならば序盤の仕事ははっきりします。何を怖がらせるかではなく、この世界では何が起こりうるのかという規則を、読者に静かに学習させること。学習の材料が薄いうちは、読者は持ち込んだ初期値のまま読み進めてしまいます。序盤に破ってよい規則が一つもないのは、そのためでしょう。まだ立っていない規則は、破っても何も落ちません。落とせるものを先に積んでおく作業が、最初の数十ページの仕事になります。
この見方は、書く手つきをひとつ決めてくれます。恐怖を強めたいときに驚きの回数を増やすのは、符号長を局所的に伸ばすだけで、読者のモデルには触れていない。効くのは、それまで安定して守られてきた規則を、目立たない場所で一度だけ静かに破ることです。そしてもうひとつ。語り手が「怖い」と書いた瞬間、読者の見積もりは確定し、幅が消える。索引がこの語を拾えなかったのは、書き落としよりも、置けば恐怖が終わる語だったから、と考えるほうが筋が通ります。