忙しい

【いそがしい】形容詞

使い分けの視点

仕事量だけなら「多忙な」「繁忙」が端的です。現場の動きは「ばたばたと」「手が回らない」、切迫感は「息つく間もない」などで見せられます。職業ごとの語彙を選べば、忙しさの量に加えて人物が何を回しきれないのかまで伝わります。

同義語

同品詞の類義語

多忙な
慌ただしい
繁忙な文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目が回るようなcolloquial
猫の手も借りたいcolloquial
息つく間もない

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

独楽のような文芸的
嵐のような
蜂の巣のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ばたばたとcolloquial
せかせかと
目まぐるしく

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

追われる
手が回らない
東奔西走する文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

多忙
繁忙文芸的
多事多端文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

息も切らさぬ文芸的
寝る暇もないcolloquial
身を粉にした文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

立て込むエッセイ関連

例文: 病棟が立て込む夕刻、看護師は廊下の足音だけで応援の到着を知った。

厨房では回らないと言い、病棟では立て込むと言う

同じ状態を、現場ごとに別の語で言う。厨房では回らないと言い、病棟では立て込むと言い、事務の机では詰まっていると言う。工程が滞る、手が足りない、順番が追いつかない——どれも共通語に訳せば一語で済むはずなのに、当事者は決してその一語を使わない。訳語のほうが正確さを失うからです。位相差というのは、たぶん「訳すと落ちるもの」のことを指している。落ちるのは情報量ではなく、事態のどこを掴んでいるかという手つきのほうです。

中立語は便利ですが、便利さの代償として、現場の形を写しません。回らないという言い方には円環の比喩があり、同じ工程を繰り返す仕事の実感が入っている。立て込むには、待っている人や物が縦に積み上がる感じがある。詰まっているは管の比喩で、流れているはずのものが止まっている状態を指す。共通語の一語はそのどれの形も持たず、ただ量が多いとだけ言う。作中人物にこの一語を言わせると、どの職場にいる人物なのかという情報が、そこで一度リセットされてしまう。読者は職業を忘れるというより、職業が場面に効いていないと判断します。

地域の側にも似た断層があります。中部から西日本にかけて広く使われる「えらい」は、共通語の偉いと同じ形をしていながら、つらい、しんどい、体がきついという意味を担う。仕事の詰まり具合を、量ではなく身体の疲労として言い表す語彙が、そこでは前面に出ている。共通語が量の側から言い、方言が身体の側から言う——同じ事態でも、どこを掴んで名づけるかが違う。この違いは、翻訳の難しさというより、名づけの角度の違いとして見たほうが正確だと思います。そして角度が違う以上、方言を共通語に置き換える操作は、たいてい可逆になりません。

語の内部にも、思わぬ落とし穴があります。「せわしない」の末尾は打消しに見えますが、そうではないとされている。はしたない、切ない、あどけないと同じく、形容詞をつくる接尾語だという説明が一般的です。だから「せわしい」と「せわしない」はほぼ同義で、否定形のはずのものが反対の意味にならない。最初にこれを知ったときは納得しにくかった。同じ形が片方では打消しとして働き、片方では働かないのなら、読み手はどこで見分けているのか。おそらく見分けてはいなくて、語彙として丸ごと覚えているのでしょう。いずれにせよ、語形から意味を推測する直観は、この種の語でしばしば外れる。

もう一段、丁寧さの位相が重なります。他人の状態を述べるときは漢語の「ご多忙」が選ばれ、自分の状態を述べるときは和語が出やすい。漢語には距離があり、距離があるぶん敬意を運べるからでしょう。逆に、自分について漢語を使えば、どこか事務的な、あるいは自分を客体として扱う響きになる。書き手にとって使えるのはこの落差です。人物が自分の詰まり具合をどの層の語で言うか——現場語か、方言か、和語か、漢語か。その選択だけで、職業と、相手との距離と、自分をどう見せたいかが同時に決まる。中立語を選ぶことも一つの選択で、そのとき人物は、どの現場にも属していない話し方をしていることになる。

文: hakadoru.ai 編集部

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