古典で「あはれ」に出会うと、現代語の感覚では受け止めきれないことがあります。美しい景色にも、心を打つ音楽にも、恋にも、死にも同じ語が当たる。深く心が動いた、という一点だけを指していて、動いた方向を指定していない。感動詞から出た語だと考えられていて、そう聞くと納得がいきます。声を漏らした、という事実そのものが語になっている。方向がないのは、まだ解釈が始まっていないからです。
現代語のこの語は、そこから大きく狭まりました。同情、憐憫、あるいは見るに堪えない状態。喜びの側は落ちています。意味の縮小と価値の低下が同時に起きた例で、通時変化の教科書的な事例と言っていい。ここで、失われたものを惜しむ書き方をしたくなります。かつては世界の豊かさを一語で受け止められたのに、今では相手を下に置く語になってしまった、と。
けれど、その書き方はどこか怠けている気がします。広い語は、実は使いにくい。あらゆる感動に同じ札を貼れるということは、その札が何も選別していないということでもある。そして、事実の側からも待ったがかかります。賞賛を表す「あっぱれ」は、同じ語から分かれたものとされている。つまり明るい側は消滅したのではなく、別の語形を得て独立した。一語が二語に割れ、担当を分けた——変化を損失としてだけ見ると、この分岐が視界から落ちてしまいます。
同じ時代の批評語彙を隣に並べると、輪郭はもう一段はっきりします。平安の文章は、心を打たれて引き込まれる側の言葉と、距離を取って興趣を面白がる側の言葉を、対にして使い分けていたと整理されることが多い——前者がこの語で、後者が「をかし」です。二つで感受の幅を分担していたわけです。ところが現代語では、どちらも狭くなっています。「をかし」から来た語は滑稽や異常の側に寄り、こちらは憐憫の側に寄った。しかも縮んだ先が、二つとも価値の低いほうです。一語だけを眺めていれば個別の事故に見える変化が、対にして見ると、その語彙の層をまるごと手放した跡に見えてきます。近代の散文が必要としたのは、感受の幅を一語で言う語ではなく、対象との関係を名指す語のほうだったのでしょう。
表記も、この変化に手を貸したはずです。もとは仮名で書かれる語で、感動詞から出た経緯を思えば、漢字を当てる必然はありません。そこへ「哀」の字が据えられた。この字は漢語の側で悲しみと喪に属していて、喜びの側の意味を持ちません。字を当てるという行為は、語の意味の一部を選んで前へ出し、残りを後ろへ下げる操作でもあります。読み手は字面から先に方向を受け取りますから、明るい用法は、書かれるたびに少しずつ据わりを悪くしていったでしょう。もっとも、字が当てられたのは意味が狭まった結果かもしれず、順序を決める材料は手元にありません。ただ、意味の変化と表記の固定が互いを補強し合ったことは、認めてよさそうです。仮名のまま置かれた古い用例を読むと、方向の指定がまだ緩いことに気づきます。
もう一つ、狭まる過程で新しく付いたものがあります。この語には、話者の位置が組み込まれた。憐れむという動詞を思い浮かべると分かりやすい。主語は必ず、対象より安全な場所にいます。同じ苦境を等しく共有している者は、相手を憐れむことができない。共有していないからこそ成立する態度で、この非対称は古語の広い用法にはありませんでした。感動を表す語から、視点の位置を宣言する語へ職種を変えた、と考えるほうが実態に近い。もちろん、変化の途中を細かく追えばもっと複雑な事情があるはずで、仏教語彙との接触や漢語「哀」との対応づけがどこまで効いたかは簡単には言えません。ただ、結果として現代語に残ったふるまいは、はっきりしています。
だから小説でこの語を使うと、書いた瞬間に語り手の座席が決まります。地の文で誰かを形容すれば、語り手はその人物の外側の、安全な高さにいることになる。三人称の視点人物が自分自身に対して使えば、その人物は自分を他人として眺めていることになる。どちらも強い効果ですが、意図せず使うと、語り手が知らぬ間に見下している文章ができあがる。批評でよく指摘される種類の失敗は、たいていこの一語から始まっています。使うなら、その高さを引き受けたうえで置くこと。あるいは、高さごと登場人物に持たせておいて、後の場面で当人がその高さから落ちるように組むこと。語の含みは消せませんが、物語の側で反証することはできます。