合格発表の掲示板の前で、人は自分の番号を探します。誰かがその人に向かって話しかけるわけではないのに、結果は確実に届く。この場面を一語で書こうとすると、動詞の選択がにわかに難しくなります。掲示板が合否を伝えた、では受け取った側の処理まで含んでしまい、掲示板が合否を知らせた、では親切に過ぎる。番号の列は誰にも配慮せず、ただそこに出ているだけです。届いたかどうか、送り手に意図があるかどうか、どこで動作が終わるか。伝達を表す動詞は、それぞれこの三つについて別の条件を抱えていて、条件表を並べたときにはじめて住み分けが見えてきます。
二つの文を並べて、動詞だけを入れ替えてみます。「彼は妻に離婚を伝えた」と「彼は妻に離婚を告げた」。指している出来事はほとんど同じはずなのに、後者だけが、そのあと会話の続きを許さない感触を持ちます。文体の好みで説明したくなるところですが、差の出どころはもう少し手前にあります。二つの動詞が、文の中で何を要求し、何を要求しないか——その要求リストが違うのです。
まず、完了条件のふるまいが違います。「伝えたが、伝わらなかった」という文は問題なく成立します。伝達という動作は相手に届いて初めて終わるので、届かなかった場合を後から否定できる。ところが「告げたが、告げられなかった」は文になりません。この動詞は、口を開いて言い終えた時点で完了してしまい、受け手が理解したかどうかを完了の条件に含めない。だから説得や弁明には使いにくく、通知・宣告の側に寄ります。命令形にしても事情は変わらず、告げよと命じられた側が請け負うのは口を開くところまでで、届いたかどうかまでは負っていません。相手の反応を待たない動詞なので、会話文の直前や直後に置くと、そこで応酬が止まります。
格のふるまいにも非対称があります。相手を表すニ格と内容を表すヲ格を取る三項動詞でありながら、ニ格はしばしば黙って脱落します。そして脱落したとき、主語の席に人ではないものが入ってくる。鐘が終わりを、汽笛が出航を、雪解けが春の訪れを。同じ文型を「知らせる」で作ることもできますが、感覚的には、意図を持たない主語をこれほど広く受け入れるのは「告げる」の側です。意図の有無を問わないという性質と、受け手の理解を問わないという先の性質は、同じ一つのことの表と裏だと考えられます。この動詞は伝達の回路ではなく、発生の瞬間だけを見ている。
ヲ格に立つ名詞にも偏りが見えます。別れ、終わり、訪れ、死、時刻。出来事の境界を名指す語が集まりやすく、予定や金額を目的語にしても文法的には壊れませんが、硬さが残ります。時刻が座れるのも見落とせない点で、時計が正午を告げる、という言い方は自然に通ります。同じ位置に「伝える」を入れれば機械の説明書のようになり、「知らせる」を入れれば事務連絡になる。運んでいるのは情報の中身ではなく、情報によって引かれる線のほうなのでしょう。文語の下二段動詞「告ぐ」の連用形が名詞化した「お告げ」が、内容ではなく到来そのものを意味することとも方向が揃います。受身にすると今度は被害の含みが強くなり、「別れを告げられた」は、聞かされた側が動かせない一線として受け取ったことを示します。
可能形と受身形が同じ形になることも、この動詞では事故につながりやすい。下一段活用なので、どちらも「告げられる」です。「彼女は最後まで告げられなかった」という一文は、誰からも聞かされなかったとも、自分から言い出せなかったとも読める。ほとんどの動詞では前後の文脈がこの曖昧さを片づけてくれますが、ここでは片づきにくい。受け手の理解を完了条件に含まない動詞なので、周囲に受け取り側の反応が書かれていないことが多く、読者が判定に使える材料がそもそも少ないからです。可能の意味で使いたいなら「告げずにいた」「言い出せなかった」へ、受身なら「告げられることがなかった」へ振り分けておくのが安全でしょう。文法上の同形は、意味の側の性質と噛み合ったときにだけ実害を出します。
こうして並べると、使いどころはかなり限定されると分かります。会話の応酬の途中に置けば、そこで応酬が終わる。裏を返せば、場面を切るために設計された道具です。長編で何度も使うと、語り手があらゆる出来事に判決を下しているように読め、読者は次第にその重さを割り引きはじめます。一話にひとつ、線を引きたい箇所を決めて、そこにだけ置く。残りは言うでも伝えるでも十分に足ります。