叫ぶ

【さけぶ】動詞

使い分けの視点

地の文の「叫ぶ」は、声を評価せず出来事として運べる中立的な動詞です。荒々しさを足すなら「わめき立てる」、声量だけなら「大声を上げる」、集団の反応なら「歓声」と、発声の目的と聞き手の受け取り方を分けて選びます。比喩的な表現は一度だけ強く置き、その後の静けさまで描くと余韻が残ります。

同義語

同品詞の類義語

吠える文芸的
呼ばわる文芸的
わめき立てるcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

大声を上げる
声を張る
喉を裂く文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

獣が吠えるような文芸的
雷が落ちるような文芸的
空を裂くような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

声高に文芸的
甲高く
大声で

体言的言い換え

用言を体言に変換

雄叫び文芸的
怒号文芸的
歓声

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

声を振り絞る
吠え猛る文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

正体の分からない叫びエッセイ関連

例文: 廊下の奥から正体の分からない叫びが届き、夜警は剣より先に灯りを掲げた。

口では言わないのに、地の文では標準になる語

声を張り上げた人が、あとで自分の行為をどう言うかを考えてみます。「叫んじゃった」と言う人もいるでしょうが、多くは「でかい声出した」か「怒鳴った」のほうを選ぶ気がします。それなのに小説の地の文では、この動詞が当たり前に使われる。話し言葉ではあまり出てこない語が、書き言葉では標準になっている——この断層は、格式の差だけでは説明しきれません。

一つの見方は、この動詞が外からの記述だというものです。声を張り上げている本人は、自分が声量を上げていることを行為として意識していない。意識していれば、それはもう叫びではなく発声の調整になります。つまりこの語は、観察者の位置からしか使えない。地の文が三人称なら自然に置けて、口語で自分の行為に使うとどこか他人事に響く。そう説明すると、いったんは収まります。

しかし反証はすぐに出てきます。一人称の小説でも「叫んだ」と書けますし、不自然ではありません。だとすると外からの視点という説明は足りない。足りない部分を埋めるのは、たぶん時間のほうです。一人称で書けるのは、書いている時点がその瞬間から離れているからです。回想の距離が、自分を観察対象に変える。話し言葉で使いにくいのは、出来事が近すぎるときだけかもしれません。

位相をもう一段広げると、別の用法が見つかります。「改革を叫ぶ」「危機を叫ぶ」のように、主張を声高に述べる意味で使われる場合です。これは報道や政治評論の文体に偏っていて、日常会話ではまず出てきません。同じ動詞が、身体の限界に近い発声と、抽象的な主張の反復という、まったく違う二つの場所で使われている。共通しているのは、聞かれることを目的にした過剰さでしょう。音量が過剰なのか、頻度が過剰なのか、その違いだけです。

翻訳の現場にも、この語の偏りが表れます。英語には声を上げる動詞がいくつもあり、怒りを含むもの、驚きを含むもの、遠くへ呼びかけるものが分かれています。それらが日本語に移されるとき、会話文の後ろに付く記述はしばしば一つの動詞へ集約される。翻訳小説を読んで育った書き手は、その集約された形を標準として受け取ります。話し言葉に根を持たないこの語が地の文で強い理由の一端は、書物のなかだけで受け渡されてきた経路にあるのかもしれません。ただし、翻訳以前から書き言葉に定着していた可能性もあり、原因を一つに絞ることはできません。

似た意味の語を並べると、それぞれ別の場所に住んでいるのが見えます。わめくは話し手の評価が入り、対象を子どもじみたものとして扱う。怒鳴るは相手が特定されていて、感情の方向が決まっている。吠えるは人間に使えば侮蔑になる。このなかで、この動詞だけが評価を持たず、方向も持ちません。中立であることが、書き言葉の標準として選ばれた理由なのだと思います。日常の会話に居場所がないのは、そこでは評価抜きの報告がそもそも要らないからでしょう。

だから実務上は、中立さを使うか捨てるかの判断になります。人物の叫びに書き手の評価を混ぜたくないときは、この語が最も邪魔をしない。逆に、語り手がその人物をどう見ているかを一語で漏らしたい場面では、あえて評価つきの語に差し替える。分岐点は音量ではなく、語り手が黙っているかどうかにあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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