叙情

【じょじょう】名詞

使い分けの視点

「叙情」は感情語の多さではなく、音数・反復・文の切れ目で内面を歌わせる技法です。「詩情」は景に宿る詩的趣、「情感」は感情の手触り、「抒懐」は胸中を述べる行為へ寄ります。湿度を上げたいときほど感情を名指す語を減らし、長い文の反復を短い一文で断つなど、息の間隔を設計します。

同義語

同品詞の類義語

抒情文芸的
詩情文芸的
情感
抒懐文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

心に沁みる響き文芸的
湿った感情の調べ文芸的
胸を濡らす情緒文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

雨のしずくのような文芸的
夕陽の色のような文芸的
古い歌のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

情に訴える
胸を打つ
心をうるませる文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

言葉にならぬ感傷文芸的
胸に残る旋律感文芸的
しんみりした響きcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

間隔の設計エッセイ関連

例文: 三十字ほどの文を四つ重ね、最後を五字で切る間隔の設計が、涙と書かずに喪失を伝えた。

分類名が警戒語になるまで

合評の場でときどき、「後半が叙情に流れている」という言い方が出ます。これは褒めていません。感情の側へ寄りすぎて、構成や描写の仕事が止まっているという指摘です。奇妙なのは、この語がもともと批判の道具ではなかったことです。出発点では、価値判断を一切含まない技術的な分類名でした。百年ほどのあいだに、詩の型を指す中立な札が、書き手を戒める語へ変わっている。

起点は翻訳にあります。西洋の詩型は長く、叙事、劇、そして lyric という三分で語られてきました。lyric は竪琴を意味するギリシア語に由来し、楽器の伴奏に合わせて歌われる形式を指す名です。歌われるか、語られるか、演じられるか——三つを分けているのは上演の形態であって、感情の量ではありません。物語を語る詩に対して、歌う詩がある。ただそれだけの区別です。明治の新体詩の時代にこの三分が訳語とともに持ち込まれたときも、当初は詩の種類を並べる枠として機能していました。

意味が動いたのは、形容詞ができたときだと考えられます。「〜的」が付くと、分類は程度に変わる。ある詩がこの型に属するかどうかは本来イエスかノーの問題ですが、「〜的である」は多い少ないの目盛りを持ちます。目盛りが生まれると、必ず上端を指す用法が出てくる。過剰を名指す専用の語が用意されていなければ、語そのものが過剰の意味を引き受けるからです。同じ経路をたどった語は他にもあり、「文学的」や「哲学的」が場合によって皮肉として使えるのも、分類の名が程度の名に変わったあとに起きる現象です。意味が悪くなったというより、目盛りの上端が語の代表的な用法として定着した、と言うほうが実態に近い。

表記の側でも、一度失われたものがあります。この語は「抒情」とも書かれてきましたが、「抒」は常用漢字表に入っていないため、公的な文書や新聞では「叙」で代用されるようになりました。「抒」はくみ出すという意を持つ字とされ、「叙」は述べる、順序立てるの側です。汲み上げる動作と、順を追って述べる動作。読みが同じである以上、実務上の支障はありません。ただ、内側から引き出すという含みが表記の上からは見えなくなった。詩情、情感、抒懐といった近い語のうち、抒懐だけが今も使いにくく感じられるのは、同じ字を抱えたまま代用の恩恵を受けられなかったからでしょう。

摩耗した語に抗する手は、語を避けることではありません。もとの分類が指していた技術のほうへ戻ることです。歌われる形式だったのですから、そこにあったのは音数、反復、行の切れ目、息の長さでした。実作でいえば、感情を名指す語を段落から抜き、そのぶん文の長さを揃える。三十字前後の文を四つ続けてから、一文だけ十字で切る。読者が受け取る湿度は、たいてい感情語の数ではなく、この間隔のほうから来ています。批判として飛んでくる「流れている」という言い方は、多くの場合、感情が多すぎる状態ではなく、間隔の設計が消えた状態を指しています。

文: hakadoru.ai 編集部

エディタで直接置換して執筆を加速

SaaS エディタではシソーラスの結果をワンクリックで本文に反映できます

無料で始める →