情熱

【じょうねつ】名詞

使い分けの視点

語そのものに熱の比喩があるため、炎、燃焼、滾る血を重ねて強さを説明しすぎないようにします。冷えた道具、静かな手元、冬の空気など別の温度を隣へ置くと、内側の熱が対比で際立ちます。感情名だけで済ませず、何に取り組み、何を続けさせる情熱かも具体化します。

同義語

同品詞の類義語

熱意
熱気
パッションcolloquial
意気込み

類義句

同品詞の慣用的言い換え

胸に燃える火文芸的
抑えきれぬ昂り文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

炎のような
胸を焼く炉に似た文芸的
噴き出す泉のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

胸が燃える文芸的
熱が込み上げる

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

胸の炎文芸的
滾る血文芸的
内から湧く力

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

別の温度エッセイ関連

例文: 情熱に火を重ねず、凍っていたという別の温度を隣へ置いた。

凍らないもの——語の中に埋まった温度

冷める、とは言えます。燃える、くすぶる、再び燃え上がる、これも自然に通る。ところが凍る、溶ける、となると急に据わりが悪くなる。温度に関わる動詞のうち、下側だけがきれいに欠けている。この偏りに気づいたとき、語の内側で何かがまだ動いていると考えざるを得なくなります。

感情を熱として語る言い方が言語をまたいで広く見られることは、認知言語学が繰り返し取り上げてきた事例です。沸騰する、頭を冷やす、腹が煮えくり返る。日本語のこの語の場合、その枠組みがすでに表記の側に固定されている。字面の片方が熱そのものです。比喩が語の内部に埋め込まれてしまったあとも、共起の側では枠組みが生きていて、燃焼に関わる動詞だけを引き寄せ続けている。凍結した比喩が、実は凍結していない——ここが面白いというより、少し不気味なところです。

いったん立ち止まります。動詞の偏りは、本当に比喩が生きている証拠なのか。別の説明も立ちます。単に慣用の連なりが強固で、使い手は何も感じずに定型を再生産しているだけかもしれない。この可能性は否定できません。ただ、慣用だけでは説明しにくい現象がひとつある。新しい表現を作るときも、書き手は上側の語彙から選ぶ。熱を帯びる、沸き立つ、といった未定着の組み合わせが自然に出てきて、下側からは出てこない。定型の再生産なら、定型の外では偏りが消えるはずです。偏りは定型の外まで及んでいる。

西洋語との重なりも、この語の履歴を複雑にしています。英語やフランス語のパッションは、ラテン語で受けること、耐えることを意味する語に遡ると説明されるのが一般的です。もとは苦しみの側の語で、受動の含みが強い。日本語の側の語は熱の比喩を核に持ち、能動的な燃焼のイメージが前に出ます。訳語として重ねられた結果、二つの筋が一語に同居することになった。恋愛や芸術を語る文章でこの語が妙に強く響くのは、燃える力と、耐える受苦とが、同じ場所から同時に立ち上がるからだと考えられます。

語順を入れ替えた形が別に存在する点も、考える手がかりになります。熱情という語も使われていて、意味は近いのに重心がずれる。漢語の組み立てでは前の要素が後ろを修飾するのが基本なので、片方は情のうちの熱であり、もう片方は熱を帯びた情ということになる。前者は熱が中心に据わり、後者は情が中心に据わる。同じ二つの成分を並べ替えただけで、比喩の向きが反転している。実際の用法を見ても、燃焼に関わる動詞は熱を中心に据えた形のほうに集まりやすいように見えます。写像が語構成の順序にまで及んでいるとすれば、これは単なる慣用の問題ではありません。

実作上の帰結はきわめて具体的です。すでに熱の比喩を含む語に、さらに火の比喩を重ねると、同じ写像を二度踏むことになる。胸に燃える炎のような情熱、と書いた行が薄く感じられるのは、修飾が足りないからではなく、足しすぎているからです。むしろ有効なのは、写像の欠けた側をあえて突くやり方でしょう。冷めたのではなく凍っていた、と書けば、読者は据わりの悪さを一瞬だけ経験する。その一瞬に、意味ではなく温度が伝わります。埋まっている比喩は、掘り返すより、隣に別の温度を置いたほうが動く。

文: hakadoru.ai 編集部

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