もっと

【もっと】副詞

使い分けの視点

「今以上に」は現在を基準に明示し、「より一層」「なお」は既存の程度を改まって増します。「ぐっと」「ぐんと」は一段の急な変化、「格段に」は比較差の大きさ、「ひときわ」は周囲から際立つ程度です。「輪をかけて」は同じ性質をさらに強め、「拍車をかけて」は進行を加速させます。

同義語

同品詞の類義語

今以上に
より一層文芸的
ぐっとcolloquial
なお文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

輪をかけて文芸的
拍車をかけて文芸的
輪をかけたように文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ぐんとcolloquial
格段に
ひときわ文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

省かれた基準を履歴で満たすエッセイ関連

例文: 少年の要求の前に敗北を重ね、読者が省かれた基準を履歴で満たすよう設計した。

基準を言わない比較——渇望を一語で運ぶ副詞の設計

比較には基準が要る、というのが論理の建前です。「速い」と言うなら何より速いのか、「多い」なら何と比べて多いのか。ところが日常の日本語は、基準を明かさない比較であふれています。その筆頭がこの副詞です。「もっと強く」と言う人は、いま実現している強さを暗黙の基準に据え、その先を指差しています。基準は言語化されず、いま・ここの状況が丸ごと引き受ける。文脈から切り離せば意味の芯が抜ける、燃費の悪い語です。そしてこの「基準を言わない」という性質こそが、小説の道具としてのこの語の価値の源泉になります。省かれたものを補うのは、読者の仕事だからです。

台詞の中でこの語が強いのは、欲望の中身を言えないまま、欲望の向きだけを言う語だからです。「もっと」とだけ口にする人物は、何がどれだけ足りないのかを自分でも特定できていません。そして、特定できないという状態そのものが人物描写になります。満たされない人物に不足の内訳を語らせれば、台詞はたちまち説明に堕ちる。内訳を欠いた一語は、まだ言葉になっていない渇望を、言葉にならないまま舞台に載せられる、ほとんど唯一の方法です。幼い子どもが早くに覚える要求の語彙にこれが含まれるのも、人間には内訳より先に向きがあるからでしょう。

同じ語が地の文に入ると、性質は反転します。「彼はもっと速く走った」という文は、どれだけ速くなったのかを読者に何ひとつ渡しません。台詞の曖昧さは話し手の性格として読まれますが、地の文の曖昧さは記述の手抜きとして読まれます。語り手は登場人物と違って、言葉に詰まる権利を持たないからです。地の文で増分を書くなら、歩幅、呼吸の乱れ、追い抜いた背中の数——そうした具体の目盛りに翻訳するのが散文の作法です。同じ一語が、鉤括弧の内と外で価値を逆転させる好例と言えます。

もう一つの問題は摩耗です。感情の頂点でこの語に頼る台詞は、あらゆる物語で繰り返されてきたため、手垢が厚い。落とす設計は二つあります。第一に、対象をずらすこと。この語の後ろに読者の予想しない目的語を置けば、語は新品に戻ります。何を求めるかが露出する位置なので、ずらした分だけ人物の底が見える。強さでも速さでもなく、たとえば「時間」を求めさせるだけで、場面の意味は変わります。第二に、語を失敗させること。聞き返される、届かない、誤解される。要求が一度で通らないやり取りは、通じ合えなさの解像度を上げ、そのまま二人の関係の描写になります。強い語ほど、成功させずに使う選択肢を手元に置いておくべきです。

最後は配給量の問題です。この副詞は欲望の原液のようなもので、薄めずに頻用すると、場面は単調な絶叫に近づきます。長編の中で、人物が心の底からこの語を口にする場面を、数えるほどに絞ってみる。すると絞られたその一回が、それまで語られてこなかった不足の総量を、一語で背負って立ちます。書き手の仕事は当日の一語を磨くことではなく、その一語が立つ床——不足の履歴——を、手前の章で黙って積んでおくことのほうです。

文: hakadoru.ai 編集部

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