試しに、著作権の切れた長編小説を一冊、テキストで用意して、「あまり」を含む行をすべて抜き出してみます。検索語を行の中央に揃えて前後の文脈ごと一覧にする——コーパス言語学で KWIC(文脈付き索引)と呼ばれる、いちばん素朴な道具です。並べて眺めると、右側の文脈に強い偏りが見えてきます。数語以内に「ない」「ぬ」「ません」といった打ち消しが続く行が、目立って多い。辞書の語義説明を読むだけでは気づきにくい統計的な癖が、並べるだけで浮かび上がります。
この偏りは偶然ではありません。程度を弱める用法のこの副詞は、否定と共起することを強く要求する——言語学で負極性項目と呼ばれる性質です。「あまり好きではない」は言えるのに、「あまり好きだ」は言えない。英語の any や ever にも同種の性質があり、否定や疑問の文脈でしか安定して使えない語彙は、言語を横断して観察されています。文法性という頭の中の判断が、コーパス上の頻度分布にそのまま影を落とす。教科書的と言っていい対応関係です。
ただし、全用例が否定と共起するわけではない。「あまりに」「あまりにも」の形なら肯定文で強意に働きます(あまりにも美しい)。さらに「パンの余り」「十人あまり」のような名詞・接尾辞的な用法もある。同じ文字列の中に少なくとも三つの用法が同居していて、直後に「に」が来るか、打ち消しが後続するか、数詞が先行するか——といった共起パターンで、機械的にもかなりの精度で仕分けられます。形態素解析器が品詞を推定するときに頼っているのも、突き詰めればこの種の文脈手がかりです。
二語三語の連なり、いわゆる n-gram を数える視点からは、もうひとつ別の構文も見えてきます。「あまりの暑さに」「悲しみのあまり」——名詞と「の」を介して結びつき、過剰が原因となって何かを引き起こすことを表す因果の型です。程度副詞の用法が「たいしたことのなさ」の側へ振れるのに対し、この型は常に「度を越したこと」の側へ振れる。同じ語が、連なりの型しだいで正反対の極を担っているわけで、単語単位の頻度表には決して現れず、連なりを数えて初めて分離できる多義性です。
変異形を数える楽しみもあります。撥音の入った「あんまり」は、会話文に強く偏って現れる形です。地の文で使えば語りがくだけ、逆に会話で撥音のない形を使えば、人物がわずかに折り目正しく聞こえる。さらに「あんまりだ」と述語に立てば、「ひどい」という評価の言葉に固まって、もはや程度副詞ですらなくなります。音の揺れがそのままレジスタ(場面ごとの言葉づかいの層)の指標になっている例で、話し言葉と書き言葉の資料を両方持つコーパスなら、この偏りは数字ではっきり確認できます。
用法の分岐そのものにも、頻度が絡んでいると考えられています。出発点は「余り」、すなわち残りや過剰という具体的な量の意味でした。それが程度の意味へ広がり、さらに否定と結びついて控えめな打ち消しの強調へ転じた。具体的な意味が漂白されて文法的な道具になっていく過程は文法化と呼ばれ、使用頻度の高い語ほど進みやすいという一般傾向が指摘されています。語彙の頻度分布がごく少数の語に激しく偏ること(Zipf 則の名で知られます)と考え合わせると、頻度上位の常連であるこうした機能語こそ、意味の摩耗が最も進んだ層だと言えます。
共起の要求は、文法の内側だけの話でもありません。「あまり好きじゃない」は、多くの場面で「嫌いだ」の婉曲として機能します。断定を避けて程度を割り引く言い方が、否定との共起という文法的性質とちょうど噛み合っている。会話文でこの語を多用する人物は遠慮がちに、あるいは育ちよく聞こえ、一切使わず「嫌いです」と言い切る人物は輪郭が硬く立つ。共起の統計は、キャラクターの声の設計図としても読めるのです。
対訳コーパス(同じ内容の日本語と英語を文単位で対応づけた資料)で眺めると、この語の翻訳のされ方にも偏りが出ます。程度を弱める用法は not very や not much の周辺に落ち着くことが多い一方、英訳の側では訳語が立たず、ただの否定に吸収されてしまう例も珍しくありません。「あまり行かない」は I don't go often にも I don't really go にも、単なる I don't go にもなり得る。割り引きの度合いをどこまで訳出するかは訳者の裁量に委ねられていて、機能語の翻訳が内容語の翻訳より不安定であることを示す、手頃な観察材料になっています。
計量文体学の世界では、書き手を判別する特徴量として、内容語よりも機能語の頻度が重んじられてきました。名詞や動詞は題材に引きずられるのに対し、助詞や副詞の使用率は題材が変わっても安定して、書き手ごとの癖を保つからです。程度副詞はその代表格で、無意識のうちに手が選ぶ語だからこそ、指紋のように個人差が残る。頻度を数えるという素朴な操作が、作者の同定という文献学の問題にまで届いてしまうのは、この安定性のおかげです。他人の文体を学ぶときも同じで、憧れの作家の機能語の使用率を数えてみると、内容の模倣では届かない呼吸の部分が数字で見えてきます。
最後に、自分の原稿で同じことをやってみる価値があります。程度副詞の使用は書き手の癖が最も出やすい領域のひとつで、「少し」「ちょっと」「たいして」などと合わせて出現行を数えると、無自覚な偏りが数字になって現れます。程度を割り引く語の一群が、自分の文章の中でどう分業しているのかも、共起表を眺めれば見えてくる。読み返して直すのが彫刻だとすれば、数えて眺めるのはレントゲンに近い。推敲の道具箱に、検索窓を一つ加えておいて損はありません。