いわゆる

【いわゆる】連体詞

使い分けの視点

いわゆるは、「世間はそう呼んでいる」という距離の表明です。話し言葉にない引用符を声に出して読む装置で、続く語が自分の語彙ではないと示します。通称の前に置けば正式な名前との段差を滑らかにし、人物の台詞に一つ置くだけで知識人の佇まいをまとわせる役割語にもなります。語り手と世界の距離を測る語です。

同義語

同品詞の類義語

所謂文芸的
世にいう文芸的
俗にいう
言うところの文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

巷で言う
世間でいう
通称

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

巷でいう所謂文芸的
世にいうところの文芸的
ひとが言う

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

俗な言い方エッセイ関連

例文: 俗な言い方を借りるなら、あの空き地は「街の肺」だった。再開発の説明会で、建築士はそう言い直した。

引用エッセイ関連

例文: 彼の文章はいつも引用の括弧で満ちていて、自分の言葉がどこにも見当たらなかった。

引用符を声に出す——語彙の断層を越える通関手続き

夕方のニュースで、アナウンサーが「いわゆる闇バイトと呼ばれる犯罪」と読み上げます。この「いわゆる」は情報を何も足していないようでいて、大切な仕事をしています。「闇バイト」という俗な言い方は放送局の正式な語彙ではない、世間がそう呼んでいるだけだ、という距離の表明です。話し言葉には引用符がありません。だからこの語が、引用符を声に出して読んでいるのです。

来歴からして、この語は引用と縁の深い言葉です。文語動詞「言ふ」に上代の受身の助動詞「ゆ」の連体形が付いた「言はゆる」に由来するとされ、意味はまさに「世に言われるところの」。漢文を訓読する際に「所謂」の二字を当てて読んだ歴史があり、漢字表記では今もこの二字が使われます。千年以上前の受身の形が、現代のニュース原稿の中で現役で働いている——語彙の保存状態としては驚くべき部類です。同じように古い形のまま生き残った仲間に「いわば」があり、説明や引用の道具は摩耗に強い、という傾向をうかがわせます。

現代語の中でのこの語の持ち場は、位相の断層の上です。日本語の語彙には、専門語と日常語、公的な言葉と俗な言葉のあいだに、はっきりした段差があります。この語は、その段差を越えて言葉を運ぶときの通関手続きとして働く。方向は双方向です。報道や役所の文章が俗語を取り込むときは、この語で消毒してから使う。逆に、学術的な文章が日常語を借りるときにも、厳密な用語ではないと断る同じ手続きが踏まれます。医師が患者に「いわゆる盲腸です」と告げる場面では、正式な病名と通称との段差が、この一語で滑らかに接続されている。位相の違う語彙をそのまま混ぜると文体は壊れますが、この一語を挟むだけで、異物は引用として無害化されるのです。

この便利さには、しかし代償があります。通関手続きを日常会話でやってみせる人は、手続きの似合う人物に見えるのです。評論家、教師、理屈の好きな上司。フィクションの世界でこの語は、知識人という役柄を演じるための記号——役割語——として機能します。台詞に一つ置くだけで、その人物は世間の言葉遣いを一段高い場所から整理する立場に立ってしまう。素朴な人物や子どもの台詞に混ざれば、読者は小さな違和感を覚えます。もっとも、本人の気づいていない気取りを演出したいのなら、その違和感はむしろ好都合ですが。

書き手が覚えておきたいのは、この語が常に「私はその言葉の外にいる」と宣言する点です。その言葉を自分のものとして引き受けるつもりなら、この語は要りません。だから多用する語り手は、どの言葉にも身を預けず、世間を常に引用で語る人物として立ち上がってきます。それを冷静さと読むか、当事者意識の欠如と読むかは文脈次第。引用でしか世界に触れない人物の孤独、と言い換えてもいい。三人称の地の文へ紛れ込んだたった一つの「いわゆる」が、語り手と世界との距離を、意外なほど正確に測らせてしまうこともあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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