いろんな

【いろんな】連体詞

使い分けの視点

いろんなは、全部ではなく異質性を主張する語です。網羅ではなく「あなたのような在り方も種類の一つだ」と伝えるからこそ慰めになります。音が縮んだ話し言葉の側の一語なので、論文では浮き、台詞では自然に響きます。さらに「いろんなことがあった」は内訳を書かないという宣言でもあり、省筆として効くか手抜きに見えるかは、その後の書き手の判断次第です。

同義語

同品詞の類義語

様々な
多様な文芸的
種々の文芸的
あらゆる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

あれこれのcolloquial
とりどりの文芸的
数多の文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ありとあらゆる
実に様々な
千差万別の文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

いろいろなエッセイ関連

例文: いろいろな味の飴を混ぜた瓶が、売店のレジ横にあった。選ぶ時間は、いつも少し長くなる。

全部ではなく、色々——多様性を主張する連体詞

「あらゆる人がいるからね」と言われて、慰められる人はいません。ところが一語を「いろんな」に差し替えた途端、この台詞は慰めの定番になります。どちらも多数の人間について述べているはずなのに、何かが決定的にずれている。意味論の道具立てで言えば、「あらゆる」が主張するのは全称の量化——例外なくすべて——であるのに対し、こちらが主張しているのは数ではなく異質性、互いに種類の違うものが複数あるという事実だからです。慰めに必要なのは網羅ではなく、あなたのような在り方も種類の一つとして世界に収まっている、という承認です。だから全称に差し替えた瞬間、台詞は空回りします。

異質性という意味の芯は、語の来歴とも整合しています。この語は「いろいろな」の音が縮んだ形とされ、さかのぼれば「色」に行き着きます。色とりどり、という言い方が今も残っているように、「色」は古くから種類やありさまの意味を担ってきました。数を数える発想ではなく、彩りの違いを見る発想です。そして「いろいろ」は畳語、つまり同じ要素を重ねた語形でもあります。日本語には「人々」「山々」「時々」のように、繰り返しの形が複数性や反復を写す仕組みが古くからあり、種類の多さを語るこの語もその系譜にいる。重ねた形が意味の複数性を写し、縮んだ音が話し言葉への所属を示す。形そのものが、意味と位相を二重に背負っているわけです。

では、種類がいくつあればそう言えるのか。ここに、この語の面白い曖昧さがあります。二種類では足りない感じがする。三種類ならぎりぎり、五種類なら文句なし——しかし境界線は誰にも引けません。意味論ではこうした語を曖昧述語と呼び、明確な閾値を持たないまま平然と運用されることが知られています。砂粒を一粒ずつ積んでいって、どの一粒から砂山と呼べるのかを問う古典的なパラドックスと同じ構造が、この日常の連体詞にも埋まっている。一種類増えたくらいで判定が変わるとは思えないのに、積み重なればいつの間にか判定は変わっているのです。しかも判定は文脈に相対的です。「いろんな国を旅した」が三か国で許されるかどうかは、聞き手が思い浮かべる母集団の大きさ次第でしょう。この柔らかさは欠陥ではありません。話し手は正確な数の責任を負わずに、多様性の印象だけを主張できる。日常語として、実によくできた仕様です。

類義語との使い分けには、文体の軸も絡んできます。「様々な」「多様な」「種々の」が書き言葉に寄るのに対して、撥音で音の崩れたこの語は話し言葉の側に立ちます。論文の中では浮き、台詞の中では自然に響く。同じ人物でも、公の答弁では「様々な事情がございまして」と言い、居酒屋では「いろんなことがあってさ」と言うはずです。同じ内容の台詞でも、どちらの語を選ぶかで話者の像は別人になります。連体詞一つの選択に、場面の格式と人物の構えがそのまま映り込むのです。

最後に、書き手として意識しておきたい性質を一つ。この語は、詳述の放棄を宣言する語でもあります。「いろんなことがあった」と書けば、内訳を書かないという選択をしたことになる。それが余韻を生む省筆として効く場面もあれば、単なる手抜きに見える場面もあります。多様性を一語で束ねて先へ進むか、足を止めて三つの具体例に開くか。この小さな連体詞は、使うたびにその判断を書き手へ突き返してきます。

文: hakadoru.ai 編集部

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