あんな

【あんな】連体詞

使い分けの視点

あんなは、目の前でも直前の文脈でもなく、話し手と聞き手が共有する記憶へ向かって伸びる指示語です。参照だけを先に渡し、実体の開示を後回しにしても文は成立し、むしろ強く働きます。その三文字がどんな過去を圧縮して運んでいるのか、いつ実体を与えるのかを伏線と同じく管理するのが書き手の仕事です。回収しないなら、それが設計であることが分かるように置くと安全です。

同義語

同品詞の類義語

ああした
ああいうcolloquial
ああいった

類義句

同品詞の慣用的言い換え

在りし日のような文芸的
あれほどの
遠い日の文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

まさかあんなcolloquial
二度とあんな
まさに往年の文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

こんなエッセイ関連

例文: こんな夜が来るとは、朝の時点では誰も知らなかった。

そんなエッセイ関連

例文: そんな言葉を彼が使うのを、僕は初めて聞いた。

指す先が本文にない——照応解析から見た「あんな」

プログラムの古典的な事故のひとつに、解放済みのメモリ領域を指したままのポインタがあります。参照は生きているのに、指す先の実体はもうありません。触れた瞬間にプログラムは落ちる。自然言語の処理にも、これとよく似た「参照を解決する」仕事があります。照応解析——文章中の「それ」「あれ」「ああいう」が何を指すのかを機械に決めさせる処理で、機械翻訳や対話システムや文書要約の土台にある、地味で、いまだに難しいタスクです。指示語の解決を誤った要約は、まったく別の内容の文書になってしまいます。

この観点から見ると、こそあど言葉の中でも「あんな」は際立って厄介な部類に入ります。「こんな」の指示対象はたいてい直前の文脈にあり、「そんな」は相手の発言の中に見つかることが多いようです。ところがア系列の指示語は、目の前の何かを指していないかぎり、遠い記憶に向かって伸びます。とりわけ会話の中では、話し手と聞き手が共有する過去の経験、つまりテキストの外側を指すことが多く、この用法は言語学で外界照応と呼ばれます。文書の中をいくら走査しても、答えはどこにも書かれていません。機械にとっては、参照先のアドレスが自分のメモリ空間の外にある状態です。文脈の窓をどれだけ広げても解決できない参照がある、という事実は、言語処理の設計者にとっても、物語の設計者にとっても示唆的だと思います。

機械翻訳の現場では、この語はもうひとつの困難を抱えています。英語の指示詞は this と that の二系列で、日本語の三系列と一対一に対応しません。ソ系列とア系列の区別——文脈の中を指すのか、共有された記憶を指すのか——は、英訳の過程でしばしば潰れてしまいます。翻訳とは分節の付け替えであり、この語の含む「二人だけが知っている」という含意は、代名詞の置き換えだけでは運べないのです。

小説では、「指す先が本文にない」という性質がそのまま道具になります。登場人物が「二度とあんな思いはしたくない」とつぶやくとき、読者はその出来事をまだ知らされていないかもしれません。それでも文は成立し、むしろ強く働きます。参照だけを先に渡し、実体の開示は後回しにする。必要になるまで値の評価を遅らせる、遅延評価に似た構造です。読者の側には未解決の参照が静かに積まれていき、それが頁をめくらせる推進力になります。三文字の指示語が、具体的な描写なら数百字を要する過去の重みを圧縮して運んでいるわけで、全文検索の索引付けでは価値の低い機能語として扱われる語が、読者の記憶にはいちばん強く作用するという非対称がここにあります。

ただし、積んだ参照はいつか解決されなければなりません。匂わせたまま回収されない指示は、読者の記憶に解放されない領域を残します。長編であれば、どの一語がどの章で実体を得るのかは、伏線と同じく管理の対象です。最後まで指す先を明かさないという選択も、それが事故ではなく設計であるかぎりは成立します。

文: hakadoru.ai 編集部

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