あの

【あの】連体詞

使い分けの視点

観念指示のあのには、話し手と聞き手の双方が知っている対象にしか使えないという強い制約があります。前提が外れると、文は偽になるのではなく、「どこのこと?」という修復の問い返しを招きます。前提が重いからこそ省略が効き、名指しを避ける場面では暗号として働きます。呼びかけや言いよどみの声も、この指示からの派生と考えられています。

同義語

同品詞の類義語

かの文芸的
件の文芸的
例の
彼の文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

懐かしの
在りし日の文芸的
遠い日の文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

他ならぬかの文芸的
まさにあの
忘れもしないあの

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あの

【あの】感動詞

同義語

同品詞の類義語

ちょっとcolloquial
もし文芸的
なあcolloquial
ねえcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

失礼ですが
恐れ入りますが文芸的
すみません

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ちと文芸的
おいcolloquial
もしもしcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

そのエッセイ関連

例文: 彼が入ったその店は、いまはもう町の地図から消えている。

あの世エッセイ関連

例文: あの世の話をすると、祖母はいつも笑った。あちらはこの世より賑やかだと言うのだった。

現在のフランス国王問題——共有された記憶だけを指せる語

「現在のフランス国王は禿げている」。二十世紀初頭の論理学者ラッセルが掲げたこの例文は、指すべき対象が存在しない文の真偽をどう扱うかという難問を開きました。ラッセルはこの文を偽と分析しましたが、後にストローソンが異を唱えます。この文は偽なのではなく、そもそも真偽を問える土俵に乗っていない——「現在のフランス国王」という表現は王の存在を主張しているのではなく前提しており、前提が満たされないとき、文は真偽の判定不能に陥る、と。この前提という考え方が、日本語のある指示詞の振る舞いをきれいに照らします。

日本語の指示詞は、話し手の近くの「こ」、聞き手の近くの「そ」、どちらからも遠い「あ」の三系列をなします。ただし遠称には二つの使い方がある。目の前の遠くを指す現場指示(向こうに見えるあの山)と、記憶の中を指す観念指示(学生時代のあの夏)です。そして観念指示の遠称には強い制約があることが知られています。話し手だけが知っている対象には使えず、話し手と聞き手の双方が知っている対象にしか使えない。自分しか知らない店の話を切り出すときは「そのとき入った店」のようにソ系や説明の形へ迂回するしかない。遠称は、二人の記憶が重なる領域だけを指せる語なのです。

だから前提が外れたときの壊れ方も、偽とは違う形をとります。「あの店、まだあるかな」と言われて心当たりがなければ、聞き手は「いいえ」と答えるのではなく「どの店?」と問い返す。文の内容が否定されるのではなく、会話の土台が崩れて修復の要求が発生する。ストローソンの言う前提失敗が、日常会話にそのまま現れる瞬間です。

他言語と比べると、この語の論理的な仕事はいっそう際立ちます。英語の定冠詞 the は、指示対象が文脈の中で一意に定まることを前提する装置で、ラッセルの分析ももともと the をめぐるものでした。日本語に冠詞はありませんが、聞き手も知っているはずの対象を指すという仕事の一部を、観念指示の遠称が引き受けていると見ることができます。ただし the が文脈内で特定できることしか求めないのに対し、こちらの遠称は共に体験した過去まで要求する。前提の条件がひとまわり重いのです。

前提の重さは、逆に省略を可能にします。名前を出さずに「あの人」とだけ言って通じるのは、共有知識が固有名の代わりを務めるからです。名指しをはばかる場面、悲しみが深くて名を口にできない場面、周囲に聞かれたくない場面——遠称は、対象を明示せずに指示を成立させる暗号として働く。鍵を持たない第三者には解読できないので、恋人たちの会話は傍から聞くと何の話か分かりません。厳密に言えばこの「双方が知っている」は、私が知っている、あなたが知っている、だけでは足りません。私はあなたが知っていると知っており、あなたも私が知っていると知っており、さらにその知識をお互いが知っている、と無限に入れ子になった状態を、ゲーム理論や認識論理は共有知識と呼びます。遠称の一語は、この無限の入れ子が成立しているという賭けを、たった一音で実行しているのです。

面白いのは、誰ひとり体験の記憶を持たないはずの対象に、遠称が固定した例があることです。「あの世」。死後の世界を、話し手も聞き手も見たことがないのに、言語共同体の全員が知っている場所であるかのように指す。共有知識の要求は、ここでは実体験ではなく、文化が何世代もかけて積み上げた物語の共有によって満たされています。前提は事実によってだけでなく、伝承によっても成立する——虚構が前提を作り出せることの、言語に埋め込まれた古い証拠だと言えます。

呼びかけや言いよどみに使われる形が、この指示詞から派生していると考えられていることも見逃せません。名指す前にこの音を発するのは、これから話題にするものが二人の共有領域にある、という合図を先に送る動作です。見知らぬ人に道を尋ねるとき、まずこの一声を置くのは、まだ存在しない共有の場をこれから開きます、という予告として働いている。指す先が物から場そのものへ移った用法だと解釈できます。

この賭けの構造を逆手に取る技法が、小説にはあります。冒頭の一行で、読者がまだ知るはずのない記憶を、既に共有されているかのように遠称で指してみせる書き出しです。前提は明らかに失敗している。しかし読者は問い返す代わりに、失敗した前提を埋めるために読み進めます。会話なら修復要求になるはずの協調行動が、読書では推進力に変わる。存在しない王を指した哲学者の例文と同じ空振りが、物語の入口では引力として働くのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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