かなり

【かなり】副詞

使い分けの視点

かなりは、程度副詞のなかでも妙に名詞寄りの体質を持つ語です。「かなりの雨」と「の」を従え、「かなりだった」と述語にも立ちます。漢文訓読の評言「可なり」に由来するとされ、判定の言葉だった履歴が、いまでも述語に立てる柔軟さとして残っています。状態だけでなく距離や時間といった動作の量まで測れ、受け持つのは標準を明確に超えるが極限には届かない帯です。書いた瞬間、標準値を知る測り手の視線がそこに写り込みます。

同義語

同品詞の類義語

ずいぶんcolloquial
相当
けっこうcolloquial
なかなかcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

それなりにcolloquial
目に見えて
見過ごせぬほど文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

そこそこcolloquial
まずまずcolloquial
馬鹿にできぬほどcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

かなりだったエッセイ関連

例文: 今年の寒さはかなりだった、と宿の主人は言って、薪をもう一束くべた。

可なりエッセイ関連

例文: 師は巻の末に「可なり」とだけ書き、次の紙へ移った。

「の」を従える副詞——「かなり」の名詞寄りな体質

「――の雨」。この空欄に程度の言葉を入れて試すと、語ごとの性格が割れて見えます。「かなりの雨」は自然に言えますが、「とてもの雨」は言えず、「ずいぶんの雨」も座りが悪い。程度を表す副詞はひとまとまりに扱われがちですが、文法のふるまいを観察すると、「かなり」は仲間の中でも妙に名詞寄りの体質を持っています。

「の」を従えて名詞に直接かかれるだけではありません。「彼の腕前もかなりのものだ」のように述語の側にも回り込みますし、「今日の混雑はかなりだった」とまで言えます。副詞でありながら、名詞や形容動詞の領分に半身を入れているわけです。この体質は出自と無縁ではないと考えられます。この語は、漢文訓読の評言「可なり」——可とするに足る、まずはよろしい——に由来するとする説があり、もともとは評価の判定を下す述語の言い回しでした。判定の言葉だった履歴が、いまも述語に立てる柔軟さとして残っている、と見ると筋が通ります。

連体の形をもう一段細かく見ると、二通りが併存していることに気づきます。ふつうは「の」を取って「かなりの金額」と書きますが、「な」を取る形も書き言葉では珍しくありません。「の」は名詞が名詞にかかるときの形、「な」は形容動詞が名詞にかかるときの形です。同じ語が両方を取るということは、この語が名詞と形容動詞の双方から引かれているということでしょう。似た揺れを見せる語を並べると、「相当の額」と「相当な額」、「多大の損害」と「多大な損害」。いずれも漢語に由来し、量や評価の判定に関わる語ばかりが集まります。文法の分類はふつう一つの箱を割り当てますが、この一群のふるまいは、二つの箱にまたがったままです。

動詞との相性にも、はっきりした線が引けます。「かなり歩いた」「かなり待たされた」は自然に言えるのに、「とても歩いた」「とても待たされた」は座りが悪くなります。「とても」が要求するのは程度の目盛りを持つ状態述語で、出来事そのものの量までは測れません。この語はそこを越境して、距離や時間や回数、つまり動作に付随する量まで測りにいきます。程度を測る顔と、量を数える顔を兼ねています。似た芸当ができるのは「ずいぶん」「相当」あたりで、いずれも名詞的な出自を疑わせる語ばかりです。副詞という品詞の中に、名詞から降りてきた一群がいて、その一群だけが出来事の量を数えられる——品詞の名札より、来歴のほうがふるまいをよく説明することがあります。

程度の目盛りの上での持ち場にも癖があります。この語が受け持つのは、標準を明確に超えるが、極限には届かない、という帯です。だから極限を表す語とは組めません——「かなり完璧」「かなり満点」はどうにも据わらないのです。段階を持たない述語とも相性がよくありません。一方、否定との関係は興味深くて、「かなり良くない」は「悪さの程度が大きい」の意味になり、「あまり良くない」のような緩和にはなりません。否定の内側に取り込まれず、外側に立って程度を測り続けます。測り手の立場を降りない語です。

述語に立てる仲間を集めてみると、もうひとつ共通点が浮かびます。「なかなかだ」「相当だ」「たいしたものだ」。どれも、程度を報告するだけでなく評価を下している語です。対比としていちばん分かりやすいのは「なかなか」でしょう。「なかなか難しい」には、予想していた水準を超えたという含みがあり、基準になっているのは話し手の期待です。ところが冒頭の語は、期待に言及しません。標準はもっと外側に置かれていて、話し手はそこからの隔たりを報告しているだけです。だから意外性を出したい文脈では「なかなか」が呼ばれ、単に量を大きく見積もりたい場面ではこちらが呼ばれます。評価に由来する語だけが述語の位置に戻れるという規則性は、訓読の評言という出自の話と、きれいに噛み合っています。

この「測る」という性格は、実作では視点の問題に直結します。程度副詞を書いた瞬間、そこには標準値を知っていて、現実との差分を見積もった誰かが必ずいます。地の文に置けば語り手の、台詞に置けば話者の目測が写り込みます。三人称の地の文で程度副詞を多用すると、語り手がいちいち採点しているような感触が出ます。それが狙いなら武器になり、狙いでないなら雑音になります。冒頭の空欄に何を入れるかは、雨量の問題ではなく、誰が雨を測っているかの問題なのです。

文: hakadoru.ai 編集部

エディタで直接置換して執筆を加速

SaaS エディタではシソーラスの結果をワンクリックで本文に反映できます

無料で始める →