た、の、も、し、い。五拍。声に出してみると、濁る音が一つもないことに気づきます。母音の並びは a-o-o-i-i で、中ほどにオ段が二つ続き、そこから細いイ段へ抜ける。同じ意味圏にある「心強い」は六拍で、途中に「づ」の濁りが入ります。「力強い」も同様に濁る。「剛健」に至っては漢語で、二拍ずつの塊が長音と撥音で締められ、和語のなだらかさとはまったく別の作りをしています。褒め言葉としてほぼ交換できるこれらの語が、音の作りではまるで揃っていない。
子音の並びも見ておきます。五拍に現れる子音は、タ行、ナ行、マ行、サ行の四つ——同じ行が二度は出てきません。しかも真ん中の二つは鼻音です。息が鼻へ抜ける拍が語の中央に並ぶので、途中でいったん音がやわらぐ。比較のために「心強い」を割ると、こ・こ・ろ・づ・よ・いで、カ行が二度続きます。同じ行の反復は音を転がし、語に勢いをつける働きをする。特殊拍の有無も揃いません。こちらの五拍は、促音も撥音も長音も一つとして含まず、すべてが子音と母音の組でできています。剛健のほうはご・う・け・んで、四拍のうち二拍までが特殊拍です。伸ばす拍と詰まる拍が半分を占める語と、一つも持たない語とでは、口の中で起きていることが根本的に違う。
語尾の「〜もしい」は現代語では数が少なく、思いつくのは「好もしい」くらいです。古語の「頼もし」はシク活用の形容詞で、この類は話し手の評価や心情を表すものが多かったとされます。喜ばしい、望ましい、好ましい——今も残る「〜しい」の群れは、対象の外形ではなく判断を運びます。頼もしいは相手の性質を測っているようでいて、実際に述べているのは測る側の安心です。だから同じ人物を見ても、追い詰められている者と余裕のある者とでは、この語が出るかどうかが変わる。音の話に入る前から、この語は主観の側に立っている。
音の細部を見ると、重心はオ段の二拍が続くところにあります。「の」も「も」も口の開きがほとんど変わらないので、二拍のあいだ姿勢が保たれる。厚みを一度作ってから、シとイで細く抜ける。対して「心強い」は、コ・コ・ロで三拍を助走したあと「づよい」で急に力むので、途中に段差ができます。褒めながらこちらも力むのが「心強い」で、褒めて力を抜くのが「頼もしい」。前者は自分の不安を認めた上での評価で、後者は評価だけを差し出す。同義語の選択は、しばしばこの程度の差で決まっています。
活用させると、この形は保たれません。末尾だけが入れ替わるうちは穏やかです。連用形の「頼もしく」も、名詞にした「頼もしさ」も五拍のままで、最後の一拍がク音やサ行に置き換わるだけ。ところが過去にすると、た・の・も・し・か・っ・たの七拍になり、途中に促音が割り込みます。清音だけで滑らかに抜けていた語に、息の止まる場所が一箇所できる。二拍増えたことよりも、詰まる拍が一つ入ったことのほうが手触りに効きます。褒め言葉として働いているのは終止形の五拍のほうで、地の文で過去形に倒した瞬間、売りだった滑らかさは半分ほど落ちる。台詞として置くか、地の文で報告するかという判断は、意味の問題である前に、どの活用形の音を読者へ渡すかという問題です。
とはいえ、音が意味を決めるとは言えません。「乏しい」も清音ばかりで同じ語尾を持ちますが、印象は反対です。「恐ろしい」に至っては、同じオ段の連続を抱えている。同じ語根から出た「頼りない」も、た・よ・り・な・いの五拍で、濁点は一つも付きません。条件をこれだけ共有していながら、評価はまっすぐ逆を向く。音象徴で語の性格を説明するのは順序が逆で、意味が先に決まったあとの手触りにだけ、音は効く。そして効く場面は限られていて、それは同義の候補が複数残って決めかねているときです。意味で選べる場面では音は関係なく、意味で選べなくなったとき初めて音が判定を引き受ける。
台詞で試すのが早い。「頼もしいな」は六拍で言い切れて、そのまま着地します。「心強いな」は七拍で、語尾がわずかに重い。地の文なら差は消えますが、声に出される台詞では拍が効きます。前後の文が長く続いたあとで短く締めたい位置なら前者、間を作りたいなら後者。意味の違いではなく呼吸の違いで選ぶ場面は、類義語をめぐる判断のなかでいちばん頻度が高い。原稿を読み上げて迷ったら、そこは音で決めていい。決めた理由が説明できなくても、読者の耳は同じところで同じように反応します。