宮沢賢治は『春と修羅』の序で、自分という現象を、仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明だと書きました。電気の比喩を使いながら、その灯の色に選ばれたのが青である。赤でも白でもなかった理由を、詩そのものは説明しません。ただ、この色名が日本語の中で背負ってきた範囲を辿ると、なぜ青が選ばれるとこれほど落ち着くのかが少しだけ見えてきます。この語は、色の一つというより、いくつもの層が積み重なった堆積物に近い。
最も古い層は、色名の総数そのものに関わります。古代の日本語で色を直接に指した形容詞はアカ・クロ・シロ・アヲの四つだったという説が広く紹介されており、この四語で光と闇、そして中間の彩りを分け合っていたと考えられています。アヲの担当範囲は現代よりはるかに広い。青葉、青菜、青々とした山——いずれも実際の色は緑です。信号の色を青と呼ぶ習慣も、この幅の名残として説明されます。宮中行事の白馬節会は、表記に白の字を使いながら「あおうまのせちえ」と読む。灰色がかった馬の毛色までがアヲの内側にあった時代の痕跡が、行事の名に固定されて残っているわけです。
和歌の側にも、この幅の跡が見つかります。奈良にかかる枕詞の あをによし は、青土と丹土という二種の顔料を並べた形だと説明されるのが一般的です。ここでの青は、空でも海でもなく、壁や柱を塗るための土の色を指している。色名が地名の飾りとして制度化されるほど、この語は物質の側に足を置いていました。顔料の名がそのまま枕詞になるという経路は、色の語がまだ具体物の名前と切れていなかったことの証拠でもあります。古い歌に出てくる用例——青柳、青垣、青丹——が指しているのも、いまの色感覚では緑にも灰にも寄るものばかりです。近代の詩がこの色を心の状態に結びつけるようになるまで、この語は長いあいだ、物の名前に付き従う語でした。抽象へ持ち上げられたのは、堆積の最後の層に属する出来事です。
そこへ、近代の翻訳が別の層を重ねました。憂鬱を色で言うとき青を使う言い方は、英語の blue の受容と関係があると考えられています。少なくとも、悲しみとこの色を直結させる感覚は、古い和歌の語彙からは出てきません。メーテルリンクの戯曲が『青い鳥』の題で紹介されて以後は、手の届かない幸福の隠喩としての青も加わりました。外から入った比喩が土着の色名に接ぎ木され、しかも接ぎ目が見えなくなっている。近代文学の語彙には、この種の二重底がいくつもあります。
翻訳が持ち込むのは、色そのものより、色に付いた社会的な符号であることもあります。明治末に創刊された文芸雑誌の青鞜は、英語で学識のある女性を指した言い回しの直訳でした。もとは十八世紀のロンドンの集まりで、参加者が青い毛糸の靴下を履いていたことに由来すると説明されます。この経路を通って、知性、あるいは知性を主張する女性という含みが、一時的にこの色へ結びつけられた。含みのほうは日本語に定着しませんでしたが、雑誌の名としては残っています。外来の比喩は、接ぎ木が成功して見えなくなる場合と、固有名詞の中で化石になって残る場合の、二通りの残り方をするわけです。化石として残った側は、意味が抜けているぶん、かえって扱いにくい。読者はその名を知っていても、なぜ青だったのかは知らないまま通り過ぎます。
もう一つ、評価語としての層があります。青二才、青臭い、尻が青い。果実が熟していない状態を色で指したところから、人の未熟さへ意味が移りました。色名が価値判断に転じる経路は珍しくありませんが、この語の場合、転じたあとも元の色の像が消えていないのが特徴です。青臭いと言われたとき、人は抽象的な未熟さと同時に、熟していない実の匂いのほうも受け取っている。荀子の「青は藍より出でて藍より青し」も、染料の色の比較がそのまま人の比較として読まれてきた例で、色と評価が地続きであることを示しています。染め重ねるほど色が濃くなるという事実がなければ、この一文は比喩として成り立ちません。
現代の原稿でこの色は、おそらく最も安易に使われる色名です。空、海、顔から引いた血の気、未熟——用途の違う四つ以上の層が、たった一語の中で待機している。どれが起動するかを決めるのは、隣に置かれる語のほうです。単独で放り出せば、読者はほぼ空を選びます。顔色を言いたいなら、その前後に呼吸か体温を置く必要がある。使うたびに、いま自分がこの堆積のどの層を掘っているのかを確かめる。四つを同時に鳴らそうとした一行は、たいてい何も鳴りません。