指示対象を厳密に取れば、それは光ではなく、熱でもありません。日の当たっている地面の一角、つまり場所です。ところがこの形容を人に向けて使うとき、場所の話をしている人はいない。比喩が持ち出しているのは語の指示対象ではなく、その語に束ねられた経験のほうだからです。意味論の言い方をすれば、語が何を指すかという層と、語が何を喚起するかという層は別に立っている。比喩は後者だけを借りていきます。
束ねられているものを並べてみると、少なくとも六つはあります。温度。明るさ。限られた広がり。冬という季節。そこに留まっていられること。そしていつか翳ること。一度の比喩が持ち出せるのは、このうちせいぜい二つか三つです。笑顔にかければ温度と明るさが選ばれる。時間にかければ、限られた広がりといつか翳ることが前へ出る。声にかければ、温度と、留まっていられることが残る。同じ語なのに被修飾語が違うだけで焦点の当たる位置が動く——多義というより、焦点の移動と呼ぶほうが実態に合います。
比喩には向きがあることも、ここで効いてきます。人に対してこの場所を持ち出すことはできても、場所に対して人を持ち出す言い方は成立しません。似ているという関係は数学的には対称なのに、比喩に使われた瞬間に非対称になる——似ているかどうかを問う対称的な判断と、何を何にたとえるかという有向の操作は別物だという指摘は、類似性の研究のなかでよく知られています。たとえる側には、輪郭のはっきりした、多くの人が共有している経験が置かれる。だからこの語は常に述語の側に立ち、主語の側には立たない。文法上の制約ではなく、束の密度の差が向きを決めています。
上位の語との関係を見ると、この束の特異さがわかります。暖かい場所という括りには、こたつも暖房の効いた部屋も入る。ではなぜこれが代表格のように扱われるのか。人が作ったものではないこと、いつどこに現れるかを選べないこと、時間とともに移動して消えること。この三つが、他の暖かい場所にはありません。カテゴリの中心にある成員は典型的な属性を多く備えているという考え方が知られていますが、ここで効いているのは、属性の数よりも、競合する候補が持っていない属性です。
焦点が一つに固定されると、比喩は働きを失います。この形容が手垢のついたものに感じられるのは、温度という最も取り出しやすい焦点ばかりが繰り返されてきたからで、束そのものが痩せたわけではない。残りの焦点はほとんど手つかずで残っています。翳ること。移動すること。人の意思では作れないこと。先に猫が占領していること。取り出す位置を一つずらすだけで、同じ語が別の情報を運びはじめる。
だから使うかどうかを決める前に、束のどこを取り出すかを決めるほうが早い。温度を取るなら、その一文は他の温度表現と競合するので分が悪い。移動と消滅を取るなら、この語は代替の少ない位置に立ちます。そして選んだ焦点は、続く一文が引き受けなければならない。翳ることを取ったなら、次の文には必ず時間が流れている。流れていなければ、その比喩は焦点を宣言しただけで回収されずに終わります。