身を焦がすような

【みをこがすような】形容詞句

使い分けの視点

「身を焦がすような」は、文語的な火の比喩を現代の地の文へ持ち込む表現です。窓の西日や熱い器など実際の温度をそばに置けば、擦り切れた慣用句が皮膚感覚を取り戻します。語り手や人物の古風さを意図して選び、抽象語の重ね置きは避けます。

同義語

同品詞の類義語

情熱的な
切迫した
灼けるような文芸的
狂おしい文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

胸を炙るような文芸的
燃え盛る文芸的
心を灼く文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

炎に包まれたような文芸的
熱に浮かされたような文芸的
業火みたいなcolloquial

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

狂おしく文芸的
情熱的に

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

胸を灼く文芸的
心を焦がす文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

焦がれる想い文芸的
灼熱の恋慕文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

胸が崩れ落ちるほどの文芸的
命を削るような文芸的
魂を灼くほどの文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

恋い焦がれる

例文: 航海士は故郷へ恋い焦がれるあまり、霧の港に似た灯を探し続けた。

自分で自分を焼く——火の比喩が文語から降りてきた道筋

「胸の火」「思ひの煙」といった言い方は、和歌の時代からある比喩の型です。恋を火に喩える発想は日本語に固有のものではなく、起源をひとつに定めることもできません。ただ、この型には目立つ特徴があります。焼けるのは外にある薪ではなく、自分の胸である。古語の動詞「焦がる」は自動詞で、焦げているのは思っている本人でした。それが「身を焦がす」という他動詞の形に組み替えられると、火をつける側と焼かれる側が同じ人物の内側で分裂します。自分で自分を焼いている——構文がそう言っている。この再帰的なねじれが、この言い回しの落ち着かなさと強さを同時に作っていると考えられます。

明治から大正にかけての小説は、地の文が文語から口語へ移っていく途中にありました。尾崎紅葉が読売新聞に連載した『金色夜叉』のように、雅俗折衷の調子で激情を書く作品では、火の語彙は文体とよく馴染みます。漢語と和語が高い密度で交替し、一文が長く、感情が高い音域で持続する。そういう地の文の中では、焼けるという誇張は誇張として突出しません。ところが言文一致が進み、心理が観察と分析の言葉で書かれるようになると、事情が変わります。志賀直哉のように削られた文体の中にこの一句を置けば、そこだけが別の時代から紛れ込んだように浮き上がる。語が古びたのではなく、周囲の文体が入れ替わったのです。

慣用句化にはもうひとつの代償があります。語の組み合わせが固定すると、読者はそれを意味として処理せず、合図として処理するようになる。この句が来れば次は恋情だと、続きを読む前に分かってしまう。予測できる情報は、情報として働きません。近代文学がこの言い回しに与えた格調は、そのまま大衆的な恋愛物語へ引き継がれ、歌謡や広告の見出しにまで下りていきました。行き渡ることと擦り切れることは、この場合ほとんど同じ過程です。明治の読者にとって強かった熱は、百年をかけて標準装備になった。

それでも使える場面はあります。条件は、火の比喩を比喩のまま宙に浮かせないこと。近くに実際の熱を置くと、擦り切れた句が体温を取り戻すことがあります。窓越しの西日、握った湯呑みの縁、額に貼りついた前髪——温度を持つ物が一つ視界にあるだけで、読者の皮膚感覚が起動し、比喩はその感覚に接続されます。逆に、抽象語だけで周囲を固めると句は根を失う。「焦がすような恋慕の情に苛まれ」のように同種の語を積み上げるのは、熱を足しているようで実際には薄めている操作です。

文語の遺産をどう扱うかという問題は、この一句に限りません。近代文学は、旧い語彙を口語の中でどう生かすかを実験し続けた場所でした。その結果として、現代の日本語には、明らかに時代の合わない語がいくつも残っています。使わない自由もあるが、時代の合わなさそのものを効果として使う手もある。語り手が古風なのか、人物が古風なのか、それとも書き手が意図して古めかしい調子を選んでいるのか。読者はこの三つを、驚くほど正確に読み分けます。

文: hakadoru.ai 編集部

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