話す

【はなす】動詞

使い分けの視点

「話す」は言語行為を広く覆う色の薄い動詞です。「語る」「朗誦するように」は型や長い内容へ、「喋る」「ぽつぽつと」は日常の交換や速度へ寄ります。誰に、誰と、何をの助詞で一方向と相互を分け、内容を省くときは、語られなかったことが前へ出る点を利用します。

同義語

同品詞の類義語

語る文芸的
述べる文芸的
喋るcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

言葉を交わす文芸的
口を利くcolloquial
腹を割るcolloquial

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

水の流れるような文芸的
糸車のような文芸的
朗誦するように文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

滔々と文芸的
ぽつぽつとcolloquial
静かに

体言的言い換え

用言を体言に変換

会話
談話文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

打ち明ける
吐露する文芸的
声を交わす文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

色のない会話エッセイ関連

例文: 二人は色のない会話を続け、別れの理由だけを最後まで避けた。

色の薄い動詞が空席に入るまで

時代物を書いていて、鎌倉の武士に「詳しくお話しします」と言わせると、どこか座りが悪い。理由を語感の問題として片付けてしまいがちですが、実際にはもう少し具体的な事情があります。この動詞が言語行為をまるごと引き受ける位置に来たのは、それほど古いことではないとされているからです。時代考証というと、その語が当時あったかどうかばかりが問題にされます。けれど文章に露骨に出るのは、むしろ既にある語が意味の中心をどこに置いていたか、という配置の差のほうです。語彙表に載っているかどうかより、その語が何と競合していたかを見るほうが役に立つ。

語源については、手から離すという意味の語と同源とする説があります。口から言葉を離す、という発想です。断定はできませんが、少なくとも中世以前の文献で言語行為の中心にいたのは別の動詞たちでした。いう、かたる、のたまう。この三つが場面と身分と様式によって分担していて、中立で幅の広い一語というものが、そもそも要らなかった可能性がある。分業が細かく行き届いた体系では、汎用語の席は空きません。誰が誰に対してどんな様式で述べるかが、動詞の選択そのものによって示されていたからです。

かたるの側から見ると、変化はもっと分かりやすい。この語はもともと、型のある言葉を筋道立てて述べることを指していました。語り部がいて、物語があるのはその名残です。そして同じ語形から、偽って名乗る意味の用法が分かれていきました。型があるということは、型を借りて中身を偽装できるということでもある——騙るという表記が定着したのは、この含みが独立したからです。汎用の位置から押し出されたかたるは、現在では改まった場面と、内面を腰を据えて述べる場面に残りました。人前で述べるか、深いところを述べるか。どちらにせよ、日常の雑談には使えないところまで狭まっています。

いうの側は逆の方向へ進みました。現代語のこの動詞は、引用を受ける形に大きく寄っている。誰かが何かを言う、という素朴な用法よりも、と言われる、というふうに名詞句や節を組み立てる部品としての出番が多い。実質的な意味が薄れて文法的な役割へ移っていく変化は、多くの言語で観察されるものです。かたるは意味を狭めて特殊な場所へ、いうは意味を薄めて構文の部品へ。両方が中心から退いた結果、日常の言語行為を指す中立の席が空き、そこにこの動詞が収まりました。格の取り方の広さも、その席に適していた。何を、誰に、誰と——対象も相手も同格に扱え、相手を示す助詞を替えるだけで一方向の伝達にも双方向の交換にもなる。

その経緯があるので、現代語のこの動詞は色が非常に薄い。そして薄いことが機能です。会話場面の地の文で使えば動詞は背景に沈み、読者の注意は台詞の中身へ行く。逆に、内容を書かずに「二人はしばらく話した」とだけ置くと、薄いはずの一語が急に目立ちます。書かれなかった中身のほうが前へ出てくるからです。冒頭の違和感に戻れば、鎌倉の武士に似合わないのは丁寧さではなく、この中立性そのものでした。分業がまだ生きていた口には、色の無い動詞を置く場所がない。

文: hakadoru.ai 編集部

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