Unix系のシステムには touch という命令があります。指定したファイルの中身を一切変えず、最終更新時刻だけを現在に書き換える。ファイルが存在しなければ、空のまま新しく作る。日々の作業では、更新されたことにしてビルドをやり直させたいときなどに使います。命名は的確で、この命令が残すのは内容の変化ではなく、触れられたという記録だけです。何も起きなかったことと、何も起きなかったが日付だけが動いたことは、システムにとっては別の状態になる。
日本語のこの動詞にも、同じ非対称が組み込まれています。触れることは、対象を変えないことを含意する。いじる、動かす、探る、といった動詞は変化を前提にしますが、この語は前提にしない。程度の差ではなく型の差です。「触れたが、何も変わらなかった」は説明を要しない自然な文で、「動かしたが、何も変わらなかった」は事情の補足を求められる。動詞が結果を含意するかどうかで、後続の文に必要な情報量が変わる。書き手にとっては、動詞の選択がそのまま次の一文の分量を決めているということでもあります。
接触の判定そのものを扱う分野もあります。ゲームや物理シミュレーションの衝突判定では、二つの物体が接触したかどうかを、重なりの量で計算します。境界が一点だけで接している状態は、数学的には体積がゼロで、浮動小数点の計算では安定して捉えられない。そこで実装は必ず小さな許容量を設けます。この距離より近ければ接触したことにする、という閾値です。触れたかどうかは、原理的にではなく、閾値の設定によって決まっている——この事情は小説でも同じで、袖が掠めた時点を接触と書くか、体温が伝わった時点を接触と書くかは、書き手が毎回決めている設定値です。人物ごとに閾値が違う、という書き方さえできる。距離に対して敏感な人物と鈍い人物の差は、性格の説明ではなく閾値の差として書けます。
画面上の接触を扱う側では、さらに分解が進んでいます。ブラウザやスマートフォンのAPIでは、指が触れる出来事が、触れ始め・移動中・離れる、という複数のイベントに分けられている。接触は瞬間ではなく、始点と経過と終点を持つ区間として設計されているわけです。この分け方はそのまま描写に移せます。指が置かれた瞬間だけを書くか、置かれてから離れるまでの持続を書くか、離れた後の欠落を書くか。三つは同じ接触の別の側面で、どれを選ぶかで場面の速度が変わる。多くの原稿は始点だけを書いて先へ進みます。終点を書くだけで、同じ動作が長く感じられる。
抽象的な用法もこの動詞は広く引き受けます。話題に触れる、法に触れる、逆鱗に触れる、人目に触れる。同じ名前が物理的な対象にも抽象的な対象にも定義されている状態は、プログラミング言語でいえば一つの名前が複数の型に対して別々の実装を持っている状況に近い。ただし実装の中身は型ごとにまったく違います。法に触れる場合、対象は変わらないどころか、変化はすべて触れた側に返ってくる。物理版とは結果の向きが逆になる。読み手は文脈から、どちらが呼ばれているかを瞬時に選んでいて、だからこそ一文の中で二つの型を混ぜると推論が失敗します。その話題に触れた指先、のような橋渡しは、意図してやるなら効きますが、事故で起きると文が止まる。最初の命令へ戻れば、使える型が一つ残っています。中身は何も変わらず、時刻だけが更新される。会話の後、関係の実質は動いていないのに、最後に触れた日付だけが書き換わっている——長い物語の中で、この構図は静かに効きます。