ひとつ、反転させてみます。羽のような髪、は成立します。では髪のような羽はどうか。言えなくはないけれど、ほとんど意味を成さない。羽のような手触り、羽のような軽さ、いずれも同じで、ひっくり返した途端に空回りします。似ているという関係が、順序を持っていることになる。似ているのだから相互的なはずだ、という素朴な感覚が、ここで最初につまずきます。
数学の言い方を借りると、この事実ははっきりします。距離が距離であるためには対称性が要る。二点間の隔たりは、どちらから測っても同じでなければならない。ところが比喩の関係はこの条件を満たしません。片方から片方へは通り、逆は通らない。だから類似は距離ではない、と言えます。似ているものを近いと表現する習慣が広く行われているぶん、この結論はいったん受け入れにくいのですが、反転が通らない例が一つでもあれば対称性は破れる。心理学の側でも、類似判断が非対称になることは古くから指摘されてきました。
では何が起きているのか。ひとつの見方は、射影です。対象は無数の性質を持っていますが、比喩はそのうち一本の軸だけを取り出し、その軸の上に両者を並べる。重さの軸を選べば、羽は端の近くにいる。端にいるものは、他を測る目盛りとして使えます。逆に、髪は重さの軸のどこにでもいられるので、目盛りにならない。基準になれるのは極端な位置を占めるものだけだ——これが、反転が通らない理由の一つの説明になります。
ただ、軸が一本だという前提が怪しい。羽が持ち出されるのは軽さのためだけではありません。柔らかさ、白さ、面としての薄さ、風に対する不安定さ。少なくとも四本ある。すると射影という説明は崩れかけます。崩れきらないのは、読者が実際には一本を選んでいるからでしょう。羽のような髪、と読めば軽さと柔らかさに寄り、羽のような雪と読めば薄さと不安定さに寄る。選んでいるのは語ではなく、直前に置かれた名詞と文脈です。
距離でないことのもう一つの帰結は、つなげられないという点です。距離には三角不等式があり、二つの短い隔たりを足せば全体の隔たりの上限が押さえられる。だから距離は連鎖に耐えます。比喩は耐えません。羽に似た雪、雪に似た髪、と続けたところで、髪が羽に似ていることは導かれない。実際に三つ重ねた比喩を読むと、二つ目までは像が保たれ、三つ目で焦点が散ります。似ているという関係は、対称でないだけでなく、推移的でもない——連鎖させれば正確さが上がるという直感は、ここで裏切られます。比喩を重ねて説明を尽くそうとした文が、たいてい薄くなるのはこのためでしょう。
書く側から見ると、ここが管理できる部分になります。軸を指定しないままこの比喩を置くと、読者ごとに違う軸へ落ちる。四本のうちどれに落ちても文が成り立ってしまう場合、その一行は情報として何も足していない。逆に、直前で重さの話をしていれば、同じ一句が確実に軽さの軸へ着地する。比喩が効くかどうかは、比喩そのものの新しさより、その手前で軸を絞れているかで決まる場面が多い。