涙を流す

【なみだをながす】動詞句

使い分けの視点

「涙を流す」が確実に述べるのは、目から液体が出る事実です。「泣く」「嗚咽する」は感情と声を含みやすく、「瞳から雫を落とす」は外から観察できる動きに留まります。玉ねぎや砂埃でも成立するため、原因を決めつけず、直前に見たものと直後の行動で意味を与えます。

同義語

同品詞の類義語

泣く
嗚咽する文芸的
泣き濡れる文芸的
頬を濡らす文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

瞳から雫を落とす文芸的
声を上げて泣く
むせび泣く文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

雨のように
壊れた水道のようなcolloquial
雪解け水のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ぽろぽろとcolloquial
とめどなく文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

嗚咽文芸的
泣き声

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

頬に雫の道を作る文芸的
瞳から熱い滴を落とす文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

原因を決めない水エッセイ関連

例文: 砂埃で流れた原因を決めない水が、旅人の頬の汚れを洗った。

玉ねぎと反実仮想——取り消せる推論と取り消せない含意

玉ねぎを刻んでいる人は涙を流していますが、泣いてはいません。あくびの直後も、砂埃が目に入ったときも同じです。逆に、声を上げて激しく泣いているのに目が乾いていることもある。この二つ、つまり泣くことと目から液体が出ることの関係は、片方が他方を含むようにはできていません。集合として描けば、重なりを持ちながらどちらも相手を覆っていない二つの円になります。日常の直感では一方が他方を意味するように感じられるのに、論理としては成り立たない。感じられることと成り立つことのあいだにある隙間を、そのまま材料にしているのが物語の書き手です。

それでも「彼は涙を流した」と書けば、読者はまず悲しみを想定します。これは含意ではなく、会話の場で自然に生じる推し量りです。両者を区別する方法があります。後から取り消せるかどうかを見る。「彼は涙を流した。玉ねぎのせいだった」と続ければ、悲しみの推測は無理なく取り消され、矛盾も違和感も生じません。取り消せる推論は含意ではない。一方、同じ文に「だが液体は一滴も出ていなかった」と続けると、こちらは破綻します。液体が出ることは取り消せない——そちらが含意です。二種類を混ぜて扱うと、伏線のつもりで置いた情報が読者に届かないという事故が起きます。

意志についても同じ検査が使えます。「流す」は普通、意志的な他動詞です。水を流す、噂を流す、と言えるように、動作主が選んでそうする。ところが目に関しては選べない。にもかかわらず「わざと涙を流した」という文は問題なく作れてしまいます。作れるということは、意志のなさが含意ではないということです。含意であれば「わざと」とは共存できません。意志の有無は文脈が決める推し量りにすぎず、動詞の形からは決まらない。演技を描く場面がこの語で成立するのは、そのおかげです。

否定を掛けると、情報の薄さがはっきりします。「彼は涙を流さなかった」という一文が否定しているのは、表面の述語だけです。悲しくなかったのか、悲しかったが涙腺が働かなかったのか、こみ上げたものを押し戻したのか——否定はその下の因果関係までは届きません。読者は届かないことを知っているので、文脈から一つを勝手に選びます。多くの場合、選ばれた解釈を作者は選んだつもりでいない。ここは書き手の意図と読者の受け取りが最もずれやすい場所です。

扱いにいっそう注意がいるのが反実仮想です。「あのとき涙を流していれば」と書いた瞬間、そうしなかったことが確定します。反実仮想の条件節は、前件が事実でないことを前提として持ち込む形式だからです。この前提は疑問文にしても否定文にしても生き残る。回想の場面でうっかり使えば、まだ書いていない過去の事実が一行で読者の手に渡ってしまいます。論理の側から眺めると、この表現が単独で運べる情報は驚くほど少ない。目から液体が出た、それだけです。だから修飾で飾っても増えるのは字数であって情報ではない。増やせるのは前後の文のほうで、その前に何を見たか、その後で何をしたかを書いたときに初めて、この一語は意味を持ちます。

文: hakadoru.ai 編集部

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