【ひる】名詞

使い分けの視点

「昼」は夜に対する広い時間帯と、正午前後の点の両方を指します。「日中」は活動時間の幅、「正午」「影が最も短い時」は一点です。「真っ盛り」は活動や季節の最盛期にも広がります。夜のように光だけへ頼らず、熱、音、人通り、短い影を置くと何も隠せない時間が具体化します。

同義語

同品詞の類義語

日中
正午
真っ只中colloquial
真っ盛り文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

日が高い時分
太陽の真下の刻文芸的
真上の光文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

燃えさかる炉のような文芸的
鉄板の上のようなcolloquial
眠たい午後のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

日が真上に来る
陽射しが強まる

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

太陽の天辺文芸的
影が最も短い時文芸的
陽の絶頂文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

白昼エッセイ関連

例文: 白昼の市場で宝石を奪った犯人は、短い影を追った少女に路地で見つかった。

日に線を引く字——面としての時間と、点としての時間

旧字体の形を見ると、この字は少し変わっています。晝。上に筆を表すとされる部分があり、その下に日、さらに下に横棒が一本。日を線で区切る形だと説明されることがあります。字源の説明は複数あって一つに決められませんが、少なくとも「区切り」の含みをそこに読み取ろうとした人が昔からいたことは確かです。対になる夜の字には、そうした区切りの気配がない。片方だけが線を持っている。新字体になって筆の部分は簡略化されましたが、下の一本は残りました。

和語のほうへ移ると、ヒルは日(ヒ)と関係があるとする説が有力とされます。ただしこちらも諸説あって、断定はできません。確実に言えるのはヨルとの対をなすことで、この二語が一日を二分割している。アサとユフは境目の名前ですから、面積を持つ時間帯の名は実質この二つしかないことになります。一日という円をまず二つに割り、割れ目のほうに別の名を付けた——順番としてはそう並べたくなるのですが、語の成立順が分かるわけではないので、並べたくなるだけの話です。それでも、二分割が先にあったという直観は、字の形とよく響き合う。

面白いのは、この語が面積を持ったまま、点の意味も引き受けていることです。夜に対する広い時間帯と、正午前後の狭い一点。「昼を過ぎた」と言えば点で、「昼と夜」と言えば面。読み手はどちらの意味かをほとんど意識せずに切り替えています。さらに、この語は食事の名前にまでなりました。お昼にしましょう、という言い方で、時間帯の名が行為そのものを指す。朝飯や夕飯は「飯」を残しているのに、この語だけは残さずに済んでいる。時間の名前がそのまま食卓の合図になるほど、生活の中で使い込まれたということでしょう。昼寝、昼下がり、昼行灯と、複合語を作る力もこの語は強い。

点の側には、別系統の語彙が用意されています。正午の午は十二支の午で、方位では南、時刻では現在の正午をはさむ二時間ほどに当てられていました。日が真南に来る頃が午の中心だから正の字が付いて正午になり、その前が午前、その後が午後になる。和語が面と点を一語で兼ねているのに対して、漢語の側は点を名指す語をはっきり分けて持っているわけです。しかも午前と午後という区分は、点を軸にして一日をもう一度二分してしまう。夜との対で切られていた面の上に、南中の一瞬を境にした別の二分割が重なって走っている。同じ一日を、二種類の割り方が同時に測っていることになります。午前という語が正午の前ではなく朝からの半日を指すのも、この重なりの結果です。点の名から作られた語が、面の名として使われている。

面としての大きさのほうは、昔は一定ではありませんでした。江戸期まで広く使われた不定時法では、日の出から日の入りまでを六つに割り、夜も同じく六つに割ったので、一刻の長さが季節ごとに伸び縮みします。夏の昼の一刻は長く、冬の昼の一刻は短い。同じ「一刻」という語が、月によって違う量を指していたわけです。均等な二十四時間へ切り替わったのは明治五年末の改暦で、以後この時間帯は年間を通じて同じ物差しで測られるようになりました。区切りの含みは字の中に古くから読み取られてきたのに、区切られた面の大きさが動かなくなったのは、時計が生活の中心に入ってからのことです。言い方を変えれば、この語が一定の長さを持つようになってから、まだ百五十年ほどしか経っていません。

一方で、真昼や白昼という形になると、少し別の顔が出ます。白昼堂々という言い回しが示すように、この時間帯は隠れられない時間として意識されている。光が強く、影が短く、遮蔽物が減る。夜が何かを隠す時間なら、こちらは何も隠せない時間です。区切りの字と、隠れられなさ。二つは別々の話に見えて、どちらも「境界がはっきりしている」ことに帰着します。輪郭が出てしまう時間なのです。犯罪を語るときにこの語が選ばれるのも、そこに理由があるように思えます。

書く側から見ると、この時間帯はいちばん扱いにくい。夜と夕は道具立てが安く、灯りや影を一つ置けば雰囲気が立ち上がります。ここにはその安上がりな効果がない。だから熱、音、人通りの量、影の長さ、匂いの立ち方——照明以外のもので書くしかなくなります。手間はかかりますが、その手間が結果的に場面を具体にする。何も隠せない時間に人物を置くというのは、それ自体がすでに一つの設定です。字に残った一本の線は、書き手にとっては逃げ場のなさの記号として読めます。

文: hakadoru.ai 編集部

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