原稿の「はっきりした指示」に赤を入れて漢語に置き換えたあと、直した理由をすぐには言えませんでした。改良したのか、単に硬くしただけなのか。硬くしただけなら戻すべきです。判断を保留したまま、近い意味を持つ三つの漢語を並べてみることにしました。明確、明白、明瞭。辞書的にはどれも「はっきりしている」で片づきますが、置ける場所が揃っていない。
差は焦点の置きどころにありそうです。明瞭は知覚の側に寄っていて、発音が明瞭だとは言えても、基準が明瞭だとは言いにくい。明白は逆に、誰の目にも判断が定まることを言う。明白な事実、明白な違反。そして今回の語は、対象の輪郭が定まっていることを言っている。「確」の字が動かなさを担っているのだと考えると、腑に落ちます。三つは同義語ではなく、対象の側・観察の側・知覚の側という別々の場所を見ている語だった。
置き換えのテストをすると、この整理は補強されます。指示や基準や境界には今回の語がつくのに、明白な指示とは言いにくい。証拠になると明白のほうが自然で、これは証拠が観察者の判断に直結する概念だからでしょう。「明瞭に見える」は通り、同じ位置に今回の語を入れると据わりが悪くなる。見えることは知覚の出来事で、輪郭が定まっていることとは別だからです。ここまでは筋が通っています。
否定の作り方にも同じ線が走っています。三つのうち二つは、頭に「不」をつけた形が普通に使われる。境界が定まっていない状態にも、知覚しづらい状態にも、それぞれ名前がある。ところが観察の側に焦点を置く語だけは、この形を作れません。判断が誰の目にも定まっていない状態というのは、要するに何も起きていない普通の状態なので、名前を用意する動機がない。欠如に語形が与えられるかどうかは、その欠如が指摘するに値するかどうかで決まるようです。
もう一つ、動詞化のふるまいに非対称があります。明確にする、という言い方は日常語として定着している一方、明白にするはほとんど使われない。理由は焦点の置きどころから導けます。観察者の認識状態は行為の目標にしにくく、対象の性質なら人が作れる。ただ、ここで自分の整理に反例を出しておきます。明確な悪意、という言い方は成立する。悪意に輪郭などあるのか。考えてみると、あります。過失や偶然や無関心といった隣接するカテゴリとの境界が引ける、という意味での輪郭です。この語のプロトタイプはやはり線であり、線を引く対象さえあれば抽象名詞にもつく。
そこまで来て、最初の赤ペンの理由が分かりました。人物が何かを「明確に」言ったと書けば、その人物は境界を引く側の人間になります。曖昧に済ませられた領域を切り分けた、という含みが入る。一方「はっきり」と言ったと書けば、焦点は聞き手の側へ動き、届いたこと、逃げ場がなくなったことが前に出る。書き直そうとしていた場面は、上司が部下に手順を渡す場面でした。そこで要るのは境界のほうです。理由が言えないまま赤を入れたのは、意味の焦点を先に手が知っていたからでしょう。