恰も

【あたかも】副詞

使い分けの視点

比喩の文頭で予告する語は、長い修飾を読者が現実描写と誤読しないよう支えます。短い比喩なら予告を省き、文末だけで受けても構いません。「恰も」は硬い書き言葉なので、格式ある語り手や儀礼場面に限ると声が立ちます。日常的な人物には軽い候補を選びます。

同義語

同品詞の類義語

さながら文芸的
ちょうど
まさに文芸的
さも文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

言わば文芸的
それはまるで
見るからに

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

さながらに文芸的
比すれば文芸的
宛ら文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

比喩の予告エッセイ関連

例文: 文頭の比喩の予告があったため、長い雲の描写も最後の「ごとし」まで迷わず読めた。

as if を訳し分けられる言語で起きること

英語の as if を日本語にするとき、手元には「まるで」「さながら」「あたかも」が並びます。原文には一つしかない表現に、訳文の側では選択が発生します。逆方向はもっと厄介で、この三つを訳し分けようとしても英語側に対応する段差がありません。訳語の数が合わない事態そのものは珍しくありませんが、この場合、問題は数ではない。差が置かれている場所が、両言語で違うのです。

英語は法で処理します。as if he were asleep のように、動詞の形が現実と食い違っていることを示します。ドイツ語なら als ob に接続法第二式が続き、フランス語の comme si は直説法半過去を取ります。細部は違っても、仮定であることが動詞の形に刻まれる点は共通していて、だから文頭に置かれた語は接続詞として働けば足ります。仕事が動詞側に寄っているぶん、頭の語は軽くて済むわけです。日本語には動詞の法変化がないため、比喩であることは文末の「ようだ」「ごとし」で受け、さらに文頭に副詞を置いて予告します。呼応という形をとることになります。

予告と受けの二重化は、情報量としては明らかに冗長です——それでも読み手は、比喩が来ると先に知らされている分だけ、処理が楽になります。冗長さが負担ではなく助けとして働く配置になっています。ただ、その助けが本当に要るのかは疑っておいたほうがよさそうです。おそらく効いているのは文の長さです。修飾が積み重なって二行に及ぶ比喩では、受けの語に届く前に読者が現実の記述だと思い込んでしまいます。短ければ副詞は省けます。日常の会話でこの種の予告が落ちても支障が出ないのは、そのためだと考えると、書き言葉に偏って残っている理由にも説明がつきます。

さらに、この副詞には別の顔があります。「恰も一年前のことでした」のように、「ちょうど・まさに」の意で使う用法がそれです。漢語由来で、「恰好」の恰と同じ字です。比喩の標識と、時や量がぴったり合うことの標識——同じ語形が二つの機能を持っています。英語の as if にこの二義はないので、訳者はどちらか一方だけを担いで運ぶことになります。運ばれなかったほうの意味は、訳文の中には痕跡すら残りません。

立ち止まるのは文体の高さです。as if は日常語で、会話でも論文でも使えます。ところが日本語側の三候補は高さがばらばらで、ひとつは日常語、ひとつは文語的、そして今見ている語は書き言葉に属し、しかもかなり硬い部類に入ります。訳文でこれを選べば、原文になかった格式が足されます。翻訳調と呼ばれる文体の一部は、原文をそのまま写した結果ではなく、訳語を選ぶたびに少しずつ持ち込まれた日本語側の産物だということになります。創作で使うときにも同じことが起きます。この副詞を地の文に置けば、比喩の予告という機能のほかに、語り手が硬い人間であるという情報が付きます。省いて文末だけで受けても文は壊れません。ただ、予告のない比喩は読者に一瞬の遅れを作ります。予告すれば読みやすくなり、省けば読者が一度つまずく。どちらを取るかは、その場面で読者に走ってほしいのか、立ち止まってほしいのかで決まります。

文: hakadoru.ai 編集部

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