制度が廃止されても、その制度を語るための語彙はしばらく残ります。むしろ制度が消えたあとのほうが、語は使いやすくなることがある。指示対象が具体的な身分や職種でなくなるぶん、比喩として自由に動けるようになるからです。法律用語が廃語になるのは早い。しかし人を評価するために使われていた語は、評価という機能そのものが残るかぎり生き延びる。この形容詞は、その典型的な例に見えます。
明治の初年、日本では身分制度の再編が行われました。一八七一年(明治四年)には、いわゆる賤称の廃止を定めた布告が出されています。制度としての身分呼称は、この時点で法的な根拠を失った。しかし卑や賤の字を含む語彙そのものは、日常語の中に残り続けました。制度は文書で消せますが、語彙は文書では消せない。表記や公的な使用は規制できても、人が人を測るときに手に取る語まではたどり着かないからです。
制度の語と評価の語では、消え方がまるで違います。士族、平民といった身分の呼称は、戸籍の様式から外れると日常語としても使われなくなりました。指示する対象がなくなれば、語は行き場を失う。ところが上品と下品の対は——もとは仏教で往生の階梯を九つに分けたときの区分の名です——いまも現役で働いています。身分の語でも階層の語でもなかったものが、人の振る舞いを測る評価語として定着した。評価語は、指示先を制度の外に持てるので、廃止の手が届きません。制度の廃止で消せるのは、名簿に書かれた語だけです。人が人を測るときに口へ上る語は、名簿のどこにも載っていない。同じことは、職業を指した古い語の行方にも見えます。呼び名そのものが使われなくなっても、その職業に貼られていた評価だけは、別の語に乗り換えて残ることがある。制度史の年表と語彙史の年表は、同じ年に同じ線を引けません。
江戸期までの用法では、この語は生まれ・職種・振る舞いを横断して使われていたと考えられています。近代以降、指示先の重心が生まれから心根のほうへ移っていった。現代語でこの語を使えば、ほぼ人格や欲望に対する評価として読まれます。語形はまったく変わらないまま、参照先だけが入れ替わった——語の歴史では珍しくない出来事ですが、この語の場合、入れ替わりの時期が制度の解体と重なっている点が目を引きます。身分を指せなくなった語が、代わりに内面を指し始めた、という順序がありうる。断定はできませんが、少なくとも二つの変化が無関係だったとも考えにくい。
ただし移動は完全ではありません。食い意地が卑しい、といった言い方は、欲望の強さと作法の欠如を同時に測っています。そして作法の基準というものは、多くの場合、階層的な出自を持っている。何を下品とするかの線引きは、どこかの階層の生活様式を標準に据えることで初めて引けるからです。誰がこの語を使えるかも非対称になります。この語を口にする人物は、無自覚に基準を定める側に立っている。だからこの語は、対象を評価するふりをしながら、実際には話者の位置を露出させる。
線引きが全国で揃っていったことも、近代の出来事です。近世の作法は、地域ごと、家ごと、身分ごとに違っていました。それが明治以降、学校の教科書や作法の手引きを通じて、少しずつ一つの標準へ寄せられていく。教育は、知識を配ると同時に、振る舞いの基準も配ります。配られた基準がどこの生活様式から取られたのかは、教科書には書かれません。書かれないまま全国へ届き、届いた先では自然な作法として受け取られる。この経路を通ったあとでは、出所を指さすことがもう難しくなっている。誰の基準かが見えなくなった基準は、たいてい常識という名前で呼ばれます。この語が現代でも自然に響くのは、標準化がうまくいった証拠でもあるわけです。
作中でこれを使うときに考えるべきなのは、そこです。悪役に言わせておけば安全、という単純な処理では済まない。語り手が地の文で使えば、作品そのものがその評価基準を採用したと読まれます。時代小説で当時の語彙として置くのか、現代劇で人物の偏りの標本として置くのか、あるいは視点人物が自分の内心に対して使い、それに後から気づくのか。設計を決めずに置くと、書き手が意図していない階層意識が本文に定着します。歴史の途中から降りてきた語には、降りてくる道すがら拾ってきたものが付いていて、それは辞書の語釈には書かれていない。