汚らわしい

【けがらわしい】形容詞

使い分けの視点

「おぞましい」は恐怖、「忌まわしい」は記憶、「汚らわしい」は接触で移る嫌悪を含みます。対象の事実ではなく話者の反応を露出する語なので、その人物の潔癖や信仰、偏見まで設計して使います。

同義語

同品詞の類義語

忌まわしい文芸的
おぞましい文芸的
見苦しい

類義句

同品詞の慣用的言い換え

鳥肌が立つようなcolloquial
不浄な文芸的
反吐が出るcolloquial

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

蛆の湧くような文芸的
腐肉を見るような文芸的
泥にまみれたような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

吐き気を催すほど文芸的
忌々しげに文芸的
うんざりとcolloquial

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

忌み嫌う文芸的
吐き気を催す
眉をひそめる

体言的言い換え

用言を体言に変換

穢れ文芸的
下劣さ文芸的
嫌悪

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

身の毛もよだつような文芸的
反吐が出るほどcolloquial
目を覆うばかりの文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

反応を語る形容エッセイ関連

例文: 反応を語る形容が、裁判官自身の恐れを法廷へ晒した。

対象ではなく話者を語る形容詞——「汚らわしい」の意味の焦点

泥道で転んだ子供の服は、文句なしに汚い。けれども、それを「汚らわしい」と言う人はまずいません。逆に、染み一つない札束や、洗い立ての手が「汚らわしい」と吐き捨てられることはある。類義語として辞書に並ぶ二つの形容詞は、成立の条件が食い違っています。一方は対象の表面の状態を記述するので、洗えば取り消せる。もう一方は対象の状態をほとんど問わないので、洗っても取り消せない。では後者はいったい何を述べているのか——そこがこの語の意味構造の入口です。

手がかりは語形にあります。疑わしい、嘆かわしい、忌まわしい、煩わしい、紛らわしい。この「わしい」の系列が作る形容詞は、対象そのものの性質というより、対象に向き合った話者の内的反応を形容詞の形に固めたものです。疑わしいものとは疑いを催させるものであり、煩わしいものとは煩いを感じさせるものである。同じ型で読めば、この語の意味は「汚れの感覚を催させる」であって、汚れているという事実の報告ではない。意味論で言う記述的意味と表出的意味の対比が、接尾辞ひとつで切り替わっています。だから「汚いが、汚らわしくはない」という言い方が矛盾なく成立する。泥まみれの我が子がまさにそれです。

中核にあるのは、触れれば移るという直観です。文化人類学者のメアリ・ダグラスは、汚れとは秩序の中で場違いになったものだと論じました。靴は床にある限り何でもないが、食卓に載った途端に忌避を呼ぶ。物理的な汚染量は同じでも、境界を侵犯した瞬間に感覚が発火する。日本語の伝統的な穢れの観念も、接触や共食で伝染し、禊や忌みの期間で処理されるものとされてきました。この語が典型的に向かう先が、道徳、性、血筋、死といった洗剤の届かない領域であるのは、その古い直観を現代語の中でいちばん濃く保存している形容詞だからだと考えられます。

類義語との違いは、反応の様態の違いとして整理できます。おぞましいは恐怖と戦慄に寄り、忌まわしいは出来事や記憶に向かい、汚らわしいは接触と汚染に向かう。触れたくない、同じ空気を吸いたくない、という距離化の衝動を含む点が独特です。もう一つの特異点は、この語が自分自身にも向くこと。自分を汚らわしく感じるという自己嫌悪の用法があり、これは記述型の形容詞では置き換えがききません。「自分が汚い」と言えば行為の卑劣さの自認になりますが、「わしい」型は、自分で自分に触れたくないという感覚のほうを掬い上げる。向く先で意味の質が変わらないのは、焦点が最初から対象ではなく反応の側にあるからです。

台詞にこの語を置くと、人物造形として強烈に働きます。使った人物は、世界を清浄と不浄に二分する尺度を内蔵していることを、一語で読者に開示してしまうからです。その尺度を支えているのが潔癖なのか、階級意識なのか、信仰なのか、差別なのか——そこまで設計してはじめて、この語は台詞に載せられます。対象を描写する語ではなく、発話者の内側を照らす語。出番は少ないが、出れば必ず人物が立つ。

文: hakadoru.ai 編集部

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