恐れ

【おそれ】名詞

使い分けの視点

「恐れ」には、誰かが抱く感情と、悪い事態が起こる見込みという二つの顔があります。「死への恐れ」は心の向かう先、「決壊する恐れ」は無感情な予測です。「危惧」「懸念」は報告調、「胸騒ぎ」は身体感覚に近いため、助詞と表記で視点の温度を調整します。

同義語

同品詞の類義語

危惧文芸的
懸念
憂慮文芸的
心配colloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

胸にともる赤信号colloquial
先行きへの疑念
足元を揺らす予感文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

雨雲が近づくような
瀬踏みするような文芸的
影がちらつくような

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

胸騒ぎがするcolloquial
気が気でないcolloquial
胸に影がさす文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

静かな身構え文芸的
先を案じる気持ち
胸に差す翳文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

感情を離れた悪い見込みエッセイ関連

例文: 堤防が決壊する恐れがある。感情を離れた悪い見込みとして告げる声に、避難所は静まり返った。

誰も恐れていない「恐れ」——天気予報の中の文法

「大雨の恐れがあります」。天気予報のこの定型文で、恐れているのは誰でしょうか。予報士ではないし、視聴者でもない。ここでは誰の感情も指されておらず、悪い事態が起こる見込みだけが述べられています。動詞「恐れる」の連用形から生まれた名詞でありながら、感情の主体をどこにも要求しない。内容のある語が文法的な機能へと寄っていく変化を文法化と呼びますが、この語では感情の語彙が、確率を語るための認識の道具に転じています。感情の顔と認識の顔、二つの用法がひとつの語形に同居している——この二重性が、この語の文法のいちばん面白いところです。

認識用法には、はっきりした共起制限があります。「渋滞する恐れ」とは言えても、「合格する恐れ」とは言えない。前に置けるのは、望ましくない事態だけです。同じ見込みを表す名詞でも、「可能性」は良し悪しに中立で、「見込み」はやや明るい方へ傾く。つまり日本語は、蓋然性を表す名詞のそれぞれに評価の極性を焼き付けているわけです。「回復の見込み」と「悪化の恐れ」は自然に対になるのに、語を入れ替えると途端に皮肉か誤記にしか読めなくなる。逆に、この制約は破ることで雄弁にもなります。あえて「治ってしまう恐れ」と書けば、回復を望んでいない人物の倒錯した立場が、説明を一行も足さずに伝わる。共起制限とは、守られているあいだは目に見えず、破られた瞬間に最も強く意味を放つ規則です。

格のふるまいにも、二つの顔がそのまま現れます。感情の用法では「死への恐れ」「父に対する恐れ」のように、向かう先を「へ」や「に対する」で受け取る。認識の用法では「感染拡大の恐れ」のように「の」で事態を抱え込むか、「堤防が決壊する」といった連体修飾節をまるごと従えます。前者は心の内側の話、後者は世界の側の話。同じ語形が、助詞の選び方ひとつで内と外を行き来している。英語なら fear と risk に分かれて別の単語になる領域が、日本語では一語の格支配の違いに畳み込まれている、と見ることもできます。

表記にも断層があります。常用漢字表は「恐れ」を一般の表記としつつ、「虞」の字も残しており、法令や公用文の世界では平仮名書きも広く行われています。さらに「畏れ」と書けば敬意の混じった感情に、「怖れ」と書けば生理的な怯えに寄る。どの字を当てるかが、感情と認識のどちらの用法で読ませたいかの信号として働くのです。表記の選択は好みの問題に見えて、実は用法の選択と連動している。

小説で問題になるのは、この二重性の混線です。人物の内心を書くつもりで「捕まる恐れがあった」と置くと、文は報告書の顔になり、視点人物の体温が抜けます。感情を書きたいなら、向かう先を「へ」で示すか、いっそ身体の反応に語らせる方が確実でしょう。ただし、認識用法の冷たさは欠点ではない。語り手を人物から突き放し、事態を事務的に整理して見せたい場面では、この無感情さこそが役に立ちます。文法化が生んだ温度差は、そのまま語りの距離を調節するつまみになります。どちらの顔を出すかは、助詞と述語の組み合わせで、かなり細かく制御できるのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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