忘れる

【わすれる】動詞

使い分けの視点

「忘れる」は抜け落ち自体を映せないため、約束の日時、使わなくなった呼び名、開かない引き出しなど、照合できる痕跡を先に置きます。不注意、見落とし、意図的な手放しを分け、気づく瞬間で不在を描きます。

同義語

同品詞の類義語

失念する文芸的
見落とす
抜け落ちる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

記憶から消える
頭から抜けるcolloquial
意識の外に置く文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

霧に溶けるような文芸的
波が消すような文芸的
風に飛ぶような

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

うっかりcolloquial
すっかりcolloquial
はたと文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

失念文芸的
忘却文芸的
物忘れcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

記憶を失う文芸的
心から消す文芸的
胸にしまわない

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

照合の相手エッセイ関連

例文: 空の予定表が、失われた記憶の照合の相手になった。

一八八五年、失われる速さが測られた

一八八五年、ヘルマン・エビングハウスが自分自身を被験者にして、意味を持たない綴りを覚え、時間の経過とともにどれだけ再学習の手間が増えるかを記録しました。そこから描かれた曲線は、最初の数時間で急に落ち、その後はなだらかになる。覚え直しに要する手間という外から見える量だけで、内側の減り方を推し量る設計でした。数字そのものより、この実験が持ち込んだ枠組みのほうが後の世界を変えたのだと思います。失われていく過程が、道徳でも病でもなく、時間の関数として扱われるようになった。

この転換に触れると、いくつかのことが連鎖して動き始めます。測れるものは管理できる。管理できるものは制度に組み込める。近代の学校教育が反復練習と定期試験の体系を整えていく時期と、記憶の減衰が測定対象になった時期は、大きく見れば重なっています。因果を断定するだけの材料はありませんが、少なくとも同じ方向を向いた出来事ではある。それまで個人の資質や不注意に帰されていた抜け落ちが、誰にでも一定の速さで起きる現象として説明されるようになった。

測られる以前にこの現象がどう扱われていたかを見ておくと、転換の大きさが見当をつけやすくなります。印刷が広まる前のヨーロッパでは、記憶術が修辞学の一部門として教えられていました。建物の間取りを頭のなかに用意し、覚えたい項目を部屋ごとに置いていく——場所を手がかりに順序を保つ技法です。覚えることが訓練で身につく技芸である以上、抜け落ちは技芸の失敗であり、当人の怠りに数えられました。書物が安く手に入るようになると、この技芸は必修の座から降りていきます。落ち度として責める枠組みが緩んだところへ、綴りと時計を持った実験が入ってきたことになります。

社会史の側から眺めると、外部記憶の増殖のほうが目につきます。戸籍、学籍簿、時刻表、帳簿、そして写真。覚えておかなくてよい事柄が増えるほど、覚えておくべきものの輪郭は逆にはっきりします。忘れ物という言い方が成立するのも、持ち物が定型化してからでしょう。毎日ほぼ同じ物を持って同じ経路を動く生活が広まらないかぎり、この語は働きようがありません。教科書と体操着、定期券と鍵——決まった組が存在して初めて、欠けが検出できる。抜け落ちが可視化されるのは記憶が弱ったからではなく、照合の相手が用意されたからです。

ここで自分の書いた筋に異議を唱えておきます。外部記憶を近代の産物のように書いてしまいましたが、それは正しくない。文字そのものが最初の外部記憶であり、プラトンの『パイドロス』には、書き言葉は記憶ではなく想起の手段にすぎず、人々の内に忘れっぽさを生むという、王タムスの言葉が置かれています。二千年以上前に同じ心配がされている。とすると近代が新しく持ち込んだのは、失われることへの不安ではなく、その速さを数え、対策を立て、制度で埋め合わせるという態度のほうだった。不安はずっと前からあった。方法だけが新しかった。

二十世紀の終わりから、この関係はもう一度組み替えられています。保存と検索の費用がほとんどゼロになり、記録が残り続けることのほうが既定になったからです。二〇一四年、欧州の裁判所が、条件によっては検索結果から自分に関する項目を外すよう求められるとの判断を示しました。忘れられる権利という呼び名が広く知られるようになったのは、この前後からです。制度が引き受ける仕事が、覚えておくことの側から、消しておくことの側へ移ったわけです。エビングハウスの曲線が測ったのは自然に落ちていく速さでしたが、いま争われているのは、落ちてくれない記録をどう落とすかという設計です。百三十年ほどのあいだに、同じ現象が測定の対象から要求の対象へ移りました。

小説を書く側にとって、この語がやっかいなのは、出来事ではなく不在だからです。起きたことは描写できますが、起きなかったことは描写できない。書けるのは、抜けていたと気づく瞬間だけです。約束の日を過ぎてから受け取った連絡、いつのまにか使わなくなった呼び名、開かなくなった引き出し。抜け落ちそのものは画面に映らないので、照合の相手を先に置いておくしかない。順序も決まっています。相手を置くのが先で、欠けを見せるのは後。逆にすると、読者には何が失われたのかを判定する材料がなく、その場面はただ薄くなります。近代が帳簿や時刻表で作ったものを、書き手は場面の中に作る。曲線が測れたのは、覚えた綴りの一覧が手元にあったからでした。

文: hakadoru.ai 編集部

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