心を通わせる

【こころをかよわせる】動詞句

使い分けの視点

この表現は制度的な文書にも馴染む改まった語で、地の文では関係を上から評定する声を帯びます。気持ちが通じ合うは自然な相互性、気心が知れるは時間の結果、打ち解けるは緊張がほどける過程です。語り手の立場に合わせて選びます。

同義語

同品詞の類義語

意気投合する
打ち解ける
親交を結ぶ文芸的
肩を並べる文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

気持ちが通じ合う
気心が知れる
胸襟を開く文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

二本の流れが合わさるように文芸的
弦が共鳴するような文芸的
互いの灯りを分け合うような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

親しく
深々と文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

親交文芸的
信頼

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

胸の内を分かち合う文芸的
互いの呼吸が揃う文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

相互理解エッセイ関連

例文: 祭りの準備を終えた報告書には、世代間の相互理解が深まったと記された。

この言い方が住んでいる場所

「一年間、子どもたちが互いに心を通わせる場でありたいと思います」。学校だよりの巻頭、施設の広報紙、自治体のパンフレット。こういう一文を目にした記憶は、多くの人にあるはずです。その一方で、友人と飲みながら「昨日あいつと心を通わせてさ」と言う人には、まず出会わない。言われれば意味は分かります。文法的にもどこも壊れていない。それでも口にした瞬間、その場の空気が半歩ずれる。同じ日本語の中で、この表現には出てくる場所が決まっていて、場所が決まっている語は、意味とは別の情報を運びます。

語彙は意味のほかに位相という情報を帯びています。どの場面で、どんな立場の人が、どんな相手に向けて使うか。専門語と日常語の断層、方言と共通語の差、書き言葉と話し言葉の隔たり——位相はそのすべてを含みます。辞書の語釈にはほとんど書かれないのに、読者は一読で感知する。医療者が「疼痛」と書き、患者は「痛い」と言う。事故の調書が「本件事故」と呼ぶものを、当事者は「あの日」と呼ぶ。指しているものは同じで、話者の立ち位置だけが違う。教育や福祉や地域活動の文書圏に根を張った表現も事情は同じで、圏の外へ持ち出した途端に浮きます。

なぜその圏で定着したのかは、文書の側の事情から説明がつきます。制度的な文書は、具体的な関係を名指せません。誰と誰が仲良くなったか、とは書けない。名前を出せば、出されなかった名前のほうが問題になるからです。集団の全員に等しくかかる抽象語が要る。「仲良く」では幼い。「連帯」は硬い。「交流」は事務的で温度がない。ちょうどその中間に空席があって、そこへ収まった。加えてこの言い方は使役の形をとっています。自然に通じ合うのではなく、通わせる。努力する主体が想定されていて、その主体は書き手自身でも読み手でもありうる。教育の言葉として都合がよかったのだと考えられます。

同じ事態を指す表現が、責任の所在によって分かれるのも位相の一種です。「気持ちが通じ合う」は相互的で、誰の手柄でもない。「気心が知れる」は時間が作った結果を指し、努力の記述を含みません。「打ち解ける」は一方の緊張がほどける過程に焦点があり、ほどけた側が主語になる。「肝胆相照らす」まで行くと漢籍の圏へ入り、話者の教養と年代が一緒に運ばれてくる。時代がかった台詞回しなら「わしとおぬしも、ようやく心が通うたな」という形が成立します。指している事態はどれも近いのに、誰が何をしたことになるかが一つずつ違う。類義とは意味が同じことではなく、責任配分の異なる複数の記述が、同じ現実に貼れてしまうということです。

創作での扱いは、この住所の情報を使うか避けるかの二択になります。地の文で使えば、語り手は自動的に教師や記録者の位置に立ち、人物の関係を上から評定する声になる。台詞に置けば、その人物に属性が付きます。校長、施設長、悪意はないが定型でしか喋れない大人。使う人物と使わない人物を書き分けるだけで、二人の距離が出る。文化祭の翌日、教頭が報告書に「生徒間の相互理解が深まった」と書き、当の生徒は帰り道で「まあ、普通に喋った」としか言わない。同じ半日を指しているのに、二つの文は互いに翻訳できません。位相差の実用とは、この翻訳不能をそのまま場面へ変えることです。

文: hakadoru.ai 編集部

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