完全に

【かんぜんに】副詞

使い分けの視点

全体を表す副詞と否定が並ぶと、「全部はそうでない」と「まったくそうでない」が曖昧になります。部分否定なら「完全には」と助詞で範囲を固定します。地の文の全称は事実として厳しく読まれるため、反例で崩す伏線にするか、具体的な状態へ分解して断定を支えます。

同義語

同品詞の類義語

すっかりcolloquial
残らず
徹底して
余すことなく文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

一切合切colloquial
根こそぎ文芸的
頭の先からつま先までcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

余すところなく文芸的
一糸まとわず文芸的
丸ごとcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

完全には閉まらないエッセイ関連

例文: 歪んだ扉は完全には閉まらないため、細い月光が室内へ差し続けた。

閉まっていないドアの二つの読み——否定の作用域という問題

推敲中の原稿に「ドアは完全に閉まっていなかった」という一文を見つけたら、立ち止まる価値があります。隙間がわずかに残っていたのか、それとも大きく開け放たれたままだったのでしょうか。前者なら「完全に閉まる」という状態の否定であり、後者なら「閉まっていない」ことの徹底です。書いた本人の頭の中には一つの映像しかなくても、文字の上では二つの事態が同居してしまいます。論理学の言い方を借りれば、否定の作用域——スコープ——がこの副詞を含むかどうかで、文の指す世界が分かれるのです。

論理学は「すべてがそうである」の否定と、「すべてがそうでない」とを厳密に区別します。全部が閉まっているわけではない、と言うためには、閉まっていない箇所が一つあれば足ります。全部が閉まっていない、と言えば、閉まった箇所が一つでも見つかった時点で偽になります。この二つはまるで別の主張です。日本語はこの区別を語順ではなく、しばしば助詞で処理します。「完全には閉まっていなかった」と「は」を一拍挟むだけで、読みは部分否定に固定されます。たった一文字の対比の助詞が、量化と否定の順序を入れ替えるスイッチとして働くわけです。逆に言えば、この一文字を書き忘れた文は、読者ごとに違う映像を結ぶ危険を抱え込みます。

もう一つ、論理の目で見て面白いのは、この語が本来、程度というものを許さない概念に根ざしている点です。完全とは欠けが一つもないことで、定義の上では六割の完全も八割の完全もありません。ところが実際の文章では「ほぼ完全に」「より完全な」という言い方が平然と流通しています。矛盾のようですが、到達点そのものと、そこまでの距離とを区別すれば筋は通る。頂上は一つしかなくても、頂上までの残りの道のりは連続量です。「ほぼ」が測っているのは後者であって、概念の側が薄まっているわけではありません。

日常会話では、この副詞はしばしば誇張として使われます。「完全に忘れてた」と言う人は、思い出したからこそそう言えているのだから、字義通りに取れば奇妙な発話です。それでも会話が壊れないのは、聞き手が字義と意図のずれを自動的に補正してくれるからでしょう。ところが小説の地の文では、この補正装置があまり働きません。台詞の中の全称は人物の勢いとして読まれ、語りの中の全称は事実の申告として読まれます。同じ一語でも、置かれる層によって審査の厳しさが変わります。

だからこの副詞は、崩れる予定のある場面にこそ置く価値があります。「彼は完全に落ち着いていた」と書けば、読者は論理学を知らなくても、全称の主張が反例一つで崩れることを体で知っているので、むしろ断定の裏を探し始めます。数ページ先で指先が震えるのなら、先の一語は誇張ではなく伏線として回収されます。崩れる予定がないのなら、副詞を消して落ち着きの中身——湯呑みを静かに置く音、返答までの短い間——を書いた方が、断定よりも強い。全称の主張は、破られるときに最も雄弁になる修辞です。

文: hakadoru.ai 編集部

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