まるっきり

【まるっきり】副詞

使い分けの視点

「さっぱり」「皆目」「からきし」は否定を伴い、理解や能力が皆無だと強めます。「てんで」も否定と結びつく口語です。「丸ごと」「根本から」は対象全体や基盤の変化、「見るかげもなく」は衰退を示します。「似ても似つかず」「天と地ほど」は比較の隔たり、「まるで」は比喩や全面的な否定に使えます。

同義語

同品詞の類義語

まるで
さっぱりcolloquial
皆目文芸的
丸ごとcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

見るかげもなく文芸的
似ても似つかず文芸的
天と地ほどcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

てんでcolloquial
からきしcolloquial
根本から

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

強さと話し声を同時に足すエッセイ関連

例文: 少年が方角をまるっきり間違えたと認める台詞は、強さと話し声を同時に足して緊迫した一行を少し和らげた。

促音を一つ足した代償

促音が一つ入っているだけで、語の身分が変わることがあります。この語には促音のない形が先にあり、そこに小さいツが割り込んで今の形になった、と説明されます。音が一拍増えた。増えたぶん、何かが強まったように聞こえる。ただ、強まったとして、それは元の語が弱っていたことの裏返しではないか、というところから考え始めたくなります。

語の作りを分解すると、丸ごとの「丸」に、限定を表す「きり」が付いた形と見られています。それきり、これきり、の「きり」です。全部でそこまで、という区切り方。もとは肯定の場面でも使えたはずのこの語が、現代ではほとんど否定文と一緒にしか現れません。分からない、覚えていない、通じない。似た挙動を示す副詞は他にもあり、さっぱり、てんで、皆目と並べてみると、否定への傾斜は個別の事情というより、強調副詞に起こりやすい変化なのだと分かります。強く言おうとする語ほど、否定という強い場所に吸い寄せられていく。

そこで最初の観察に戻る。強調語は使われるほど効き目が落ちます。落ちれば、話し手は音を足すか、より新しい語に乗り換える。促音の挿入は、その足し算のほうです。ここまではよくある筋書きですが、自分で疑ってみると穴があります。音を足せば必ず強くなる、とは限らない。促音が入ったこの形は、たしかに勢いは増した代わりに、書き言葉の重さを失いました。演説や論文には置きにくく、口から出た言葉の側へ移った。強めた分だけ、使える場所が狭くなっている——増補ではなく、交換だったのです。

分解のほうにも、時間の跡が残っています。限定を表す「きり」は、それきり、これきり、という言い方の中では今も生きていて、話し手はそこに区切りの意味を感じ取れます。ところがこの副詞の中では、同じ要素がもう見えない。丸ごと、そこまで、という二つの部品が溶け合って、否定を強めるための一つの塊になっている。部品に分けて理解する余地が失われることを語彙化と呼びますが、それは劣化ではなく、使用が滑らかになった結果でもあります。よく使われる語ほど、内部の継ぎ目が磨り減って見えなくなる。

同じ語基から出た親戚を並べてみると、行き先の違いも見えてきます。丸ごとを意味する部分を共有する副詞は他にもあり、片方は比喩の標識として比喩の枠を開く役目に落ち着き、こちらは否定と手を組んで強調に回りました。出発点が近くても、共起する相手が違えば、数百年のうちに別の職業に就く。語の意味を決めていくのは、語の中身だけでなく、隣に何が来続けたかです。分岐の理由は語の内側を掘っても出てこず、周囲の記録にしかありません。

失ったものをもう少し正確に言えば、時代の中立性です。促音のないほうの形は硬い書き言葉に残り、促音のあるほうは話し言葉として広く使われた結果、その話し言葉の年代を背負いました。今この語を地の文に置くと、語り手に世代と声色が付きます。中立の強調詞として使うつもりが、人物像を一つ足してしまう。強調のために選んだ語が、強調以外の情報を連れてくる。

だから使いどころは、語り手の透明性を捨ててよい場所になります。人物の会話、あるいは語り手が人物の声に寄っていく地の文。硬い叙述の中に一度だけ落とすと、そこで語りの膜が破れて、書き手の生身が出たように読める。効果は確実にありますが、繰り返せば、破れ目のほうが常態になります。摩耗は語の歴史だけの現象ではありません。一つの作品の中でも同じ速さで進みます。

文: hakadoru.ai 編集部

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