腹を壊す、という言い方には、考えてみれば釣り合わないところがあります。時計を壊せば破片や歪みが残るのに、下した腹はどこも欠けていないし、数日で元に戻る。破片の出る出来事と出ない出来事を、同じ動詞がまたいでいるわけです。「雰囲気を壊す」に至っては、壊れる前も後も、指させる物体がそもそも存在しません。この不釣り合いは欠陥ではなく、語が長い時間をかけて意味の領土を広げてきた歴史の断面だと考えられます。
古い日本語には「こぼつ(毀つ)」という動詞がありました。堂を毀つ、塀を毀つ——建造物を取りこわす場面で使われた語ですが、現代語ではほぼ死語となり、その領土は明け渡されました。一方「やぶる」は、古くから広い範囲を覆っていた動詞で、現代語でも約束を破る、記録を破る、沈黙を破る、均衡を破ると、抽象名詞との結びつきを保っています。紙や布以外を破る機会が減った現代でも、慣用句の中には旧領土の地図が残る。動詞は引っ越しても、家具を置き忘れていくのです。
もっとも、明け渡された領土がそっくり消えたわけではありません。制度の言葉のなかでは、この古い字は音読みの姿で現役です。刑法には器物損壊の罪があり、名誉毀損の罪がある。損壊、毀損、毀誉褒貶——訓の「こぼつ」が日常から退場したあとも、音の「キ」は法律用語と硬い漢語の内側で働き続けました。二〇一〇年の改定で「毀」は常用漢字表に加えられていますが、そこに示されているのは音だけで、訓は載っていない。制度の側は、この字を読ませる必要は認めながら、和語の動詞として使わせる気はないわけです。日常語としての「こぼつ」を知らない人でも、名誉毀損の四字なら読めます。動詞が死ぬのと、字が死ぬのは別の出来事だということになります。
複合動詞の層にも、時間の縞模様が見えます。取りこわす、打ちこわす、ぶちこわす——前に付く要素が新しくなるほど俗語的になり、勢いも増していく。江戸時代には、米価の高騰に怒った民衆が米屋などを襲う騒動が「打ちこわし」と呼ばれました。動詞の連用形がそのまま歴史用語として名詞化した例で、教科書に載るこの言葉には、破壊が集団の意思表示の形式だった時代の記憶が封じられています。近代以降には「取り壊し」が行政と建築の用語として定着しました。同じ作りの連用形が、片方では暴動の名になり、片方では建物の解体を届け出る書式の見出しになっている。破壊を手続きとして扱う社会は、そのための語形を古い複合動詞から調達したわけです。
「壊す」本体の歩みは、意味の拡大の見本のような経路をたどっています。核にあるのは、形あるものを打ちくだいて用をなさなくすること。そこから、形は保たれたまま機能だけが止まる場合へ広がりました。時計から、体へ、胃腸へ。さらに形を持たないものにも及びます。雰囲気、話、縁談、そして面目。具体から機能へ、機能から抽象へという意味の拡大は多くの語で観察される通時変化の定石で、逆向きの経路、つまり抽象専用だった語が後から具体物へ降りてくる例は、比べればずっと稀だと考えられています。
そして拡大は今も続いています。常識を壊す、型を壊す、既成概念を壊す——ビジネス書や創作論では、この動詞はしばしば称賛の文脈に置かれます。破壊がそのまま創造の第一歩として語られる用法で、意味の良化と呼びうる変化が現在進行しているのかもしれません。英語の break が同様に広い領土を持つことを思えば、こうした拡大は日本語に固有の癖ではないのでしょう。ただし break が沈黙も約束も夜明けもまとめて引き受けるのに対し、日本語のほうは沈黙を破り、約束を破り、夜が明けると、担当が分かれたままです。それでも最古層の含みは消えていない。「関係を壊す」という言い方がどこか重く響くのは、元に戻すには作り直すしかないという原義の感触を、この動詞がかすかに保持しているからでしょう。
書き手にとっての実益は二つあります。守備範囲が広すぎる動詞は、緊迫した場面では仕事をしすぎる——砕く、折る、裂く、潰すと下位の動詞に降りたほうが、破壊の手触りと音が伝わります。下位へ降りるときには音も一緒に降りてくる。砕くには砂の混じった音があり、裂くには繊維の音があり、折るには一度きりの乾いた音がある。上位の動詞にその音はありません。逆に、時代物や硬質な文体では「毀つ」を掘り出す手が残されている。死語は、死んでいるからこそ、置けば一行が千年前の重さを帯びるのです。