「泣きむせぶ」とは書けるのに、「泣きむせる」とは書けません。逆に、熱い汁を急いで飲んで咳き込んだ人については「むせた」と言い、「むせんだ」とは言いません。同じ喉の痙攣を指しているはずの二つの動詞が、これほどきれいに住み分けている例は多くありません。そして匂いにかかるこの修飾句が何を運ぶかは、その住み分けでほとんど決まってしまいます。
二つは同根と考えられていますが、現代語での担当範囲はまるで違います。「むせる」は喉から離れません。煙、粉、湯気、香辛料——刺激の物理的な出どころが必ず近くにあって、反応は数秒で終わります。対して「むせぶ」のほうは喉を出て、音の側へ伸びていきます。むせび泣く、むせび声。川のせせらぎや笛の音についてこの語が使われる用法も生きています。人が咳き込む話ではもうありません。表記にも偏りがあります。常用漢字表は「咽」の字を掲げていますが、そこに立っているのは音の欄だけで、むせぶという訓は認められていません。公用文や新聞がこの語をかなで書くのは、この一点によります。書きことばの語でありながら、制度に支えられた漢字を持っていないのです。
そのため、この句が匂いに付いたとき、読者の身体に起きるのは咳の予感だけではありません。「むせぶ」を選んだ時点で、泣くほうの用法が背後で薄く鳴っています。同じ場面を「むせるような香り」と書けば、反応は気道で完結します。一字の差に見えて、片方は肺の話、片方は肺と涙の話です。共起の偏りもこれを裏づけます。この句が付くのはたいてい甘い花、香、油、酒で、有機的で重い匂いのほうに寄り、消毒薬や燃料の刺激臭にはめったに付きません。生理的な暴力性だけなら後者のほうが強いはずなのに、選ばれないのです。加えて、この句は咽ぶ主体を明示しません。匂いが咽ぶわけではなく、咽ぶのはそれを吸った誰かのはずですが、その席は空いたままです。空席をどう埋めるかは読者に任されます。人物の内的独白に置けばその人の喉が入り、地の文に置けば、まだ登場していない誰かの喉が入ってしまいます。
専門の層に降りると、断層はさらにはっきりします。香道では、香を嗅ぐとは言いません。聞く、と言います。聞香という語がそのまま作法の名として立っていて、嗅覚の出来事を聴覚の動詞で受け取る態度が、語形のところで固定されています。聞く側に立った人は、匂いを情報として受け取り、身体の反応を報告しません。喉が詰まったかどうかは、その場では話題になりません。同じ煙を前にして、一方は成分と銘を言い、一方は喉を言います。層が違うというのは、感受性の優劣ではなく、何を報告すべきものと決めた集団に属しているかの差です。
層の差は人物の口にも出ます。厨房に立つ人、粉を扱う人、煙の近くで働く人は「むせる」を使います。「むせぶ」は書き手の側の語で、台詞に載せると一段芝居がかります。同じ匂いを三人が別々の層で語る場面を作れば——料理人、香を聞く人、通りすがりの子ども——それだけで三人の立ち位置が並びます。逆に、地の文の全知がこの句を繰り返すと分業は消えて、世界じゅうの人間が同じ喉を持つことになります。
使うかどうかの判定は短く済みます。「むせるような」に置き換えて、失われるものがあるかを見ます。何も失われないなら、その場面が求めていたのは気道の反応だけです。失われるなら、涙の連想を借りています。借りたなら、どこかで支払う。数行後に誰かが泣くのか、泣かずに堪えるのかを決めておきます。支払いのない借用は、濃い匂いだけを残して場面を通り過ぎます。