相撲や興行の世界には、内容の乏しい取組や試合を「しょっぱい」と呼ぶ言い方があります。土俵の隠語に由来するという説明がよくなされ、プロレス中継を経て一般にも広がり、いまでは「残念だ」「情けない」の意味で若い世代の日常語になりつつある。興味深いのは、同じ塩味を表すもう一方の語、すなわち「塩辛い」のほうが、この種の意味の広がりをほとんど見せないことです。負けた試合を塩辛いと評する人はいない。同じ味覚から出発した二語の、その後の歩幅の違い——ここには、語の運命を分ける要因がいくつも折り重なっています。
まず分布の東西差です。味の濃さを「からい」で表す西日本と、「しょっぱい」を使う東日本という対立はよく知られています。西の「からい」は唐辛子の刺激も塩の濃さも一語で引き受けるため、区別が要る場面では「塩からい」と複合で言い分けることになる。つまりこの複合形は、多義語の曖昧さを解消するために組み立てられた、説明的で書き言葉になじむ語形です。日本酒や味噌を「甘口・辛口」と呼び分ける軸も、この「からい」の系譜の上にあります。話し言葉の東西対立の上に共通語的な複合形がかぶさった三層構造で、どの層の語を選ぶかが、そのまま話者の出自や場面の改まり度を映してしまう。
味覚の基本語を並べてみると、塩味の扱いだけが不揃いであることにも気づきます。甘い、辛い、苦い、酸っぱい。それぞれ一語で片がつくのに、塩味だけは東西で語形が割れ、しかも一方は二つの語を継いだ複合形です。うま味に至っては、対応する形容詞がそもそもありません。語彙の側に穴があいている。拍を数えると、不揃いはいっそう目に見える形になります。あ/ま/い、か/ら/い、に/が/いが三拍、す/っ/ぱ/い と しょ/っ/ぱ/い が四拍。し/お/か/ら/い だけが五拍で、基本の味を表す形容詞の中でいちばん長い。長い語は日常の会話で選ばれにくく、書き言葉のほうへ押し出されていきます。分布の差は意味だけの問題ではなく、この一拍二拍の違いからも来ているはずです。呼びかけや驚きのように、とっさに口をつく場面ほど短い語形が選ばれます。台所で味見をした人の一言に五拍を使わせると、それだけで発話が少し改まって聞こえる。
コーパスの目で見ると、差はもっとはっきりします。書き言葉の資料と話し言葉の資料とで頻度の順位が入れ替わる典型的な語のペアであることに加えて、隣に来る語の顔ぶれが違う。「塩辛い」の後ろに並ぶのはほぼ食べ物の名詞で、文字どおりの味の記述に集中します。一方「しょっぱい」は、涙や汗のような体液を経由して、顔、声、試合、結末へと共起の範囲を広げてきた。共起語の幅は、多義化の進み具合をそのまま映す指標です。辞書の語義欄を見なくても、隣接する名詞のリストから二語の性格の違いはおおよそ復元できます。
ただし、数える作業には数え始める前の決定が要ります。この語の場合、前半の二字が発酵食品の名と重なるため、機械に切らせると、形容詞として一語に取るか、名詞に活用語尾が続いたと取るかで結果が変わる。集計された頻度は、この判断のあとに出てきた数字です。表記の揺れも効きます。促音を入れた書き方が実際に用いられており、表層形をまとめないと同じ語の頻度が二つに割れる。仮名だけで書かれた例も混ざります。計量の結論は堅く見えますが、その手前には、何を一語と見なすかという、あまり堅くない決定が必ず一つ挟まっている。数字を読むときは、その決定のほうも一緒に読む必要があります。
語彙統計には、使用頻度の高い語ほど多義になりやすいという、よく指摘される傾向があります。高頻度の語は摩耗し、意味の輪郭が緩み、評価的な用法を獲得していく。「しょっぱい」は口語の高頻度圏で転がり続けて角が取れ、「塩辛い」は書き言葉の中で文字どおりの味を保存した。生鮮品と缶詰のような関係で、どちらが良いという話ではなく、保存条件が違ったのです。
小説では、この分布の差がそのまま道具になります。会話文でどちらを選ぶかは人物の位相の刻印になる。祖母の食卓の一言、板前の独白、関西育ちの登場人物のつぶやき、若者の負け惜しみでは、選ばれる語形が自然と変わるはずです。地の文で確実に味覚だけを指したいなら「塩辛い」が安全で、「しょっぱい」を地の文に使うなら、評価的な意味が混入する可能性を計算に入れておく必要があります。味の描写ひとつにも、語の来歴は影を落とす。