部屋に置いた計器が、二つの数字を並べて表示しています。温度と湿度。この二つが独立に動くという事実を前にすると、暑さを一本の目盛りで語る言い方が、そもそも粗い近似だったことに気づきます。蒸し暑いという語は、その粗さを補うために二本目の目盛りを持ち込んだ表現に見えます。ところが意味論の道具で調べていくと、話はそう単純ではありません。
まず素朴な想定を置いてみます。この語は暑いの下位語で、暑さの中でも湿度が高い種類を指す。そうであれば、上位語との間に含意関係が成り立つはずです。ある種類の犬であれば必ず犬であるように。しかし言い方を試すと、含意が崩れる例が出てきます。そんなに暑くないのに蒸し暑い、という文は普通に通る。本物の下位関係なら、そんなに大きくないのに巨大だ、のような矛盾が生じるはずですが、そうならない。二本目の目盛りが十分に振り切れていれば、一本目が中程度でも成立してしまう。この語は種ではなく、独立した複合条件を指しています。
二本の目盛りが対等でないことも、言い方を試すと出てきます。いま通った文は温度の側を下げたものでした。ところが湿度の側を下げてみると事情が変わり、湿気ていないのに蒸し暑い、は成立しません。温度の条件は緩められるのに、湿度の条件は緩められない。二つの成分を対等に足し合わせた語ではなく、片方が必須で、もう片方は下限を要求するだけの、非対称な複合条件になっています。しかも必須のほうは、空気中の水蒸気量そのものというより、汗が蒸発しないという結果を指しています。同じ湿度でも、強い風が当たっていれば呼ばず、無風の室内でなら呼ぶ。窓を開けて風が通った瞬間に取り消せるという点でも、この語は気温の記述と性質が違います。暑いのほうは、風が吹いてもやはり暑いままです。取り消しの条件が、空気ではなく身体の側に置かれている。
意味の焦点も、暑いとは違うところに置かれています。試しに肯定的な評価を添えてみると、その差が見えます。暑いくらいがちょうどいい、と言うことはできる。ところがこの語で同じことを言おうとすると、口が止まる。不快の成分が語義の中に組み込まれていて、外から評価を上書きできない。温度と湿度という物理量の記述に見えて、実際には身体の側の反応が中心にある。焦点は空気ではなく皮膚にあると言ったほうが正確でしょう。評価が語義に埋め込まれている語は、否定してもその評価が抜けません。蒸し暑くない、と言われても、快適な空気が思い浮かぶわけではありません。いまはこの条件が成立していない、という報告として受け取られるだけです。
前半の成分にも注意を向けておきます。蒸すという動詞は、もともと蒸気を当てて熱を通す行為を指します。調理の語です。他動詞であることが効いていて、空気が人を蒸している、という構図がうっすら残る。ここから被害の含みが出てくると考えられます。暑いが状態の記述であるのに対し、こちらには行為者めいたものが潜んでいる。だから逃げ場のなさが伴う。対になる語がないことも、この構図を裏づけます。寒さの側に湿度を組み込んだ一語は用意されておらず、冬の湿気は底冷えやしんしんといった別の語彙で処理される。湿度を温度と束ねて一語にする方式は、熱い側にしか作られなかったわけです。蒸すという調理の動詞を借りられるのが、熱い側だけだったからでしょう。
反例を自分で出しておきます。プロトタイプとしては日本の梅雨から盛夏あたりが中心で、乾燥した土地の四十度はこの語で呼ばれません。では熱帯の夜はどうか。これは問題なく呼べます。とすると、プロトタイプは経験の中心を指すだけで、適用範囲の境界を決めているわけではない。中心が濃く、周縁が薄い——この構造は多くの語に共通しますが、気候に結びついた語では中心の像がとりわけ鮮明で、書き手はそこに寄りかかることができます。寄りかかれるぶん、境界の判定は読者ごとにばらつきます。北国で育った読者と南の島で育った読者では、この語を呼び出す閾値がかなりずれている。
実務に落とすと、注意点はひとつに絞られます。この語は読者の身体記憶を直接呼び出すので、そこへ数値を添えると効果が壊れる。気温三十二度、湿度八十パーセントという情報は、正確であるぶん、皮膚の感覚を計器の話に置き換えてしまう。書くべきは数字ではなく、汗が乾かないという一事です。襟の内側、握った手のひら、乾かないままの背中。読者の皮膚に残っているものを呼び出せば、目盛りは向こうから立ち上がります。二本目の目盛りは、計器ではなく身体の側に置かれている。