厳しさ

【きびしさ】名詞

使い分けの視点

「厳しさ」は属性を場面から切り離し、主題として扱える抽象名詞です。「過酷さ」は環境や待遇の耐え難さ、「規律の重さ」は制度上の負担を具体化します。名詞を置くだけで済ませず、気温、回数、残高など中身を一つ以上示して、空の看板にしません。

同義語

同品詞の類義語

苛烈文芸的
峻厳文芸的
苛酷文芸的
過酷さ

類義句

同品詞の慣用的言い換え

容赦のなさ
鉄の掟文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

鋼のような
真冬の朝のような文芸的
刃を当てるような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

容赦しない
鍛え上げる

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

容赦なき追及文芸的
規律の重さ
凛然たる空気文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

中身を開くエッセイ関連

例文: 「暮らしの厳しさ」と書いた後、残金と室温を示して初めて、その名詞の中身を開くことができた。

開かれない名詞——「さ」が場面から切り離したもの

「自然の厳しさ」「現実の厳しさ」——紀行文や記録文の見出しで、幾度も見た並びです。手垢という言い方は乱暴ですが、この種の句には、読んだ瞬間に意味が確定してしまって、その先で像が立ち上がらないという難点がある。書き手が観察した個別の何かではなく、すでに共有されている概念のラベルとして通過してしまいます。ただ、この定型化がいつ、どんな必要から起きたのかを考えはじめると、単なる劣化だと片づけるのが難しくなってきます。

形容詞は述語です。述語である限り、必ず何かに掛かり、誰かが誰かについて述べる場面に縛られる。「冬は厳しい」と言うには、冬という主語と、それを述べる場面が要ります。接辞「さ」が付いて名詞になると、この縛りが外れる。名詞は主語にも目的語にもなれるし、単独で見出しに立てる。場面から切り離され、独立した対象として扱えるようになる——抽象名詞とはそういう装置です。属性が、それを担う個物から離れて自立する。切り離しは劣化ではなく、機能の獲得でした。

この接辞は、形容詞の語幹にほとんど制限なく付きます。辞書に見出しがなくても、その場で名詞を作れてしまう。重さ、心細さ、ありがたさ——語幹さえあれば席が用意される。生産性のこの高さが、抽象名詞を大量に必要とした時期に効きました。近代の論説と翻訳は、西欧語の抽象名詞に見合う日本語を次々に要求します。漢語の側では「〜性」「〜化」が、和語の側ではこの一字が、その需要を引き受けた。心理や状況を分析的に書くには、属性を名詞として取り出し、それについて数行を費やす語り方が要ります。「彼は厳しかった」で終わらせず、その質を主題の位置に置いて論じる書き方です。ただし、需要が先にあって接辞が伸びたのか、接辞が手軽だったから名詞化が広まったのか、順序の判定には慎重であるべきでしょう。

もっとも、名詞を立てて中身を割るという型そのものは、近代の発明ではありません。閑さや岩にしみ入る蝉の声。芭蕉のこの句は、属性の名詞をまず据えて、そのあとに岩と蝉の声を差し出します。頭の五音に置かれた段階では、静けさはまだ概念です。それがしみ入るという動詞と、鳴き声という具体を伴った瞬間、特定の場所の、特定の時刻の静けさに変わる。名詞化された属性を句の頭に立て、残る十二音でそれを割ってみせる構造だと読めます。装置を用意して、そのまま使ってみせる例が、論説の時代より先に俳諧の側にありました。切り離すことと、切り離した先で開くこと。この二つは、もともと一続きの作業だったわけです。近代が新しく持ち込んだのは装置ではなく、装置を大量生産できる工程のほうでした。量が増えれば、開かれないまま出荷されるものも増えます。

同じ内容を担える語は、ほかにもあります。厳格さ、峻厳、苛烈。いずれも漢語で、論説の側に住んでいる。近代の書き言葉がこの二つの資源をどう配ったかを見ると、おおまかな傾向が読み取れます。漢語の抽象名詞は制度や概念を名指す位置に立ち、和語の「さ」名詞は、書き手が目の前で見たものの質を言う位置に立った。この分業は、いまも効いています。冬の厳しさ、と書くときに漢語を選ばないのは、漢語にすると、その冬を実際に越した人がいなくなるからです。「さ」の名詞は、誰かがそれを感じたという痕跡を、接辞の内側に留めている。だからこそ、感じた中身を書かないまま置くと、痕跡だけが看板として残ってしまう。

そうすると、最初の違和感はどう扱えばよいのか。名詞化が分析を可能にしたのなら、あの定型句もその成果の一部です。とすれば問題は名詞化そのものではなく、名詞にした先で何も分析していない用法のほうだった。「現実の厳しさを知った」という一文は、名詞を立てておきながら、その中身を一度も開かない。装置を用意して、使わずに閉じている。逆に、名詞を立てたあとで中身を割ってみせる文が続けば、同じ語が働き出します。断られた回数、口座の残高、朝の気温。具体が一つでも置かれれば、名詞は看板から容器に変わる。

だから判断の分かれ目は、使うか避けるかではなく、立てた名詞を開くかどうかのほうにあります。開かないのであれば、形容詞のまま述語で処理したほうが短く済む。名詞は文の中で場所を取ります。取った場所に何も置かないことが、この種の語が陳腐に見える実体だろうと思います。近代の書き言葉がわざわざ用意した席を、空席のまま並べておく理由はない。

文: hakadoru.ai 編集部

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