いつから褒め言葉の顔をするようになったのでしょうか。職人にこの語を付ければ、現代ではほぼ賛辞として通ります。譲らないこと、時代に合わせないこと、それ自体が価値として流通している。けれど字面を素直に読めば、かたくなで動かないという以上のことは言っていません。良い意味など、どこにも書かれていない。どこかで意味が反転したはずなのに、その反転がどこで起きたのかは、語形を見ても分からない。
出どころを近代文学のほうに探ると、ひとつ見えてくる筋があります。明治以降、言文一致を経て小説の地の文が口語へ移っていく過程で、人の性格を漢語二字で名指す語群がまとまって流れ込みました。軽薄、偏屈、磊落、酷薄、そしてこの語——もともとは漢文脈の教養語彙で、人物を分類し評定するための道具立てです。それが小説の描写語として使われるようになった。ただしこの語群のその後は一様ではありません。磊落はほぼ使われなくなり、同じ字を持つ「頑是ない」に至っては意味を説明しないと通じない。生き延びた語と、消えた語がある。淘汰の基準は語の意味の深さではなく、その語が名指す人物像が社会に残ったかどうかのほうにありそうです。
同じ字を含む語に、正反対の評価を得たものもあります。頑張る、です。この語の成り立ちには複数の説があり、我を張るの転とする説、眼張るから来たとする説が知られていて、いずれにせよ「頑張」は当て字だと説明されるのが一般的です。もとの字が抱えていたかたくなさは、こちらでは粘り強さの側へ振り分けられました。同じ一字が、片方では譲らない欠点を、片方では譲らない美点を担っている。近代の日本語のなかで、この字は二重国籍を得たと言ってよさそうです。だとすれば徽章化の下地は、語の内側ではなく字の水準に、もっと早くから用意されていたのかもしれません。
なぜこれだけが日常語として残ったのか。作品の用例を挙げて跡づけようとすると、ここで足が止まります。特定の作家がこの語をどう使ったかを断定できるほど、確実な例を私は持っていない。代わりに確かめられるのは、常套の連語のほうです。頑固一徹、頑固親父、頑固者。並べると偏りがはっきりします。どれも年長で、多くは男性で、しばしば職能を背負っている。性格の描写というより、世代と役割の中の位置を指す語として使われてきた気配がある。
異議を出しておくと、女性にも若者にも使えないわけではありません。「あの子は頑固なところがある」は何の抵抗もなく言える。ただし、修飾も文脈もなしにこの二字だけで人物像を立ち上げようとしたとき、読者が補完する像は、感覚的にはかなり狭い範囲に落ちます。連語の重力が効いている。三つの常套句が作った溝から、語はそう簡単に出られません。もうひとつ気になるのは自称のしにくさで、自分について言えば自嘲か開き直りにしかなりません。本当に賛辞なら自称できてよいはずなのに、できない。反転が起きたのは他称の位置だけだったということになります。職人に付ければ徽章、目の前の上司に付ければ苦情——同じ二字が、話し手の立ち位置で符号を変える。
人から離れた場所にも、この二字は広がっています。頑固な汚れ、頑固な咳。洗剤の広告や薬の効能書きに並ぶ用法では、賛辞の気配は跡形もありません。落ちない、治らない、こちらの働きかけを受け付けない。徽章は剥がれ、動かないという原義だけが裸で残ります。ここから逆算すると、反転が起きたのは人格に貼ったときだけだったと分かる。相手が意志を持つと想定される場合にかぎって、動かないことは節操の名を得る。汚れの側に意志はないので、動かないことはただの厄介事にとどまります。徽章は、断念しうる相手にしか授けられないわけです。
賛辞化そのものは、変化を拒む位置に立たされた年長者という像が、社会の側で希少になったことと無関係ではないだろうと考えています。悪徳が徽章に変わるために必要だったのは、その悪徳が失われかけることでした。だから創作でこの二字だけを置くと、読者はその出来合いの物語を勝手に埋めてしまう。崩す方法は単純で、何を譲らないかを一つだけ具体的に書くこと。譲らない対象が瑣末であるほど効きます。醤油の銘柄を変えない、雨でも傘を差さない、玄関の靴を必ず揃え直す。信念を語らせるより、はるかに固有の人間になる。読者はその一点のまわりに、この人物が黙って譲ってきた無数の場面まで、勝手に描き足してくれます。