または

【または】接続詞

使い分けの視点

「もしくは」「あるいは」「ないし」は候補を並列し、前二者は一般文、後者は範囲指定や硬い文に向きます。「それとも」は相手へ選択を迫り、「そうでなければ」は前案を退けた場合を示します。「いずれかの方法で」「場合により」は選択を保留し、「あえて選ぶなら」「もしくはいっそ」は話者の判断を前面に出します。

同義語

同品詞の類義語

もしくは
あるいは
ないし文芸的
それともcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

そうでなければ
いずれかの方法で

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

あえて選ぶなら文芸的
もしくはいっそcolloquial
場合により

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

選ばれない枝を残すエッセイ関連

例文: 王子は森へ入るか船で渡るかを等しく示し、選ばれない枝を残すことで追跡者を迷わせた。

手の形をした字が、選ばない仕事をしている

「又」という字は、右手を描いたものだと説明されます。指を三本に省いた手。それがどうして「ふたたび」を担うようになったのかについては、手を重ねる動作からの連想とする説が知られていますが、確かめようのない部分も残ります。それでも字を眺めているうちに、気づくことが一つあります。この字は、繰り返しという数えられるはずの事柄を、数ではなく身体の側から書いている。二度目、三度目という抽象に、手をあてがっている。

和語のほうには副詞の「また」があります。また来る、また同じことを言う。この「また」に係助詞の「は」が付いた形が、いま接続詞として使われているものだと考えられています。「は」は主題を立て、しばしば対比を呼び込む助詞です。重ねる意味の語に、対比の助詞。組み合わせとしては素直に読めます。ところが、ここで引っかかる。選択というのは片方を捨てる操作のはずです。重ねることの、ほとんど逆をやっている。なぜ重ねる語が、捨てる場面の先頭に立つのか。

しばらく考えて、順番のほうが違うのだと思い直しました。選ぶのは、この語を発した側の仕事ではない。AとBを並べた時点では、AもBもまだ場に置かれたままです。捨てる作業は聞き手か、その後の展開に委ねられている。つまりこれは列挙の語であって、排除の語ではありません。論理学の選言が、どちらか一方だけでなく両方成り立つ場合も真とする——いわゆる包含的な or である——ことと、この感触は妙に噛み合います。日本の法令文では「又は」と「若しくは」を階層的に使い分け、大きい括りのほうに「又は」を充てる。並べる責任を負う側に、手の形をした字が置かれている。

創作の場面に持ち込むと、この語には扱いの癖があります。人物の口から出ることは、ほとんどない。会話で二つの案を出すとき、人は「か」で済ませるか、言い直すか、間を置きます。書き言葉の側にいる語で、地の文で選択肢を並べるときに列挙面を平らに保つ働きをする。ここを別の語に替えると面が傾きます。「あるいは」を置けば迷いの色が差し、「もしくは」を置けば事務の手触りが出る——少なくとも書く側の感覚としてはそう分かれますが、これは断定できる話ではありません。

もう一つ、この字を含む語を並べていて気づいたことがあります。又聞き、又貸し、又借り。いずれも、直接ではなく誰かを一人挟むことを指しています。重ねるという意味から、あいだに一段を置くという意味へ枝が伸びている。そう見ると、選択肢を並べる働きも同じ枝の上にあるように思えてきます。話し手は結論を直接渡さず、二つのものを置いて一段を挟む。聞き手はその一段を自分で越えなければならない。もっとも、これは字の意味の系統を後から辿った印象にすぎず、語誌としてそう説明されているわけではありません。

面を平らに保つというのは、読者に判断を渡すということでもあります。並んでいる限り、まだ物語は分岐していない。分岐させるのはその次の一文です。手を重ねる格好から出発したかもしれない字が、結局ここでも重ねる仕事だけをして、選ぶところには手を出さない。字源が意味を決めるとは限りませんが、この一致は覚えておいてよいと思います。

文: hakadoru.ai 編集部

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