どんな

【どんな】連体詞

使い分けの視点

「どういう」「どういった」は種類や性質を平易に尋ね、「如何なる」「いかような」は硬い文体で条件全体を問います。「如何ほどの」「どれほどの」は程度、「何らかの」は内容を特定しない存在を示します。「果たして」「一体」は疑問を強め、「そもそも」は分類の前提へ戻ります。

同義語

同品詞の類義語

如何なる文芸的
いかような文芸的
どういうcolloquial
どういった

類義句

同品詞の慣用的言い換え

如何ほどの文芸的
何らかの
どれほどの

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

果たしてどんな
一体どんなcolloquial
そもそも如何なる文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

可能性の集合エッセイ関連

例文: 騎士はまだ現れていない敵まで可能性の集合へ入れ、どの攻撃にも応じられる陣を組んだ。

反例を探すエッセイ関連

例文: すべての金属を溶かす炎だという主張に対し、学者は融けない一片という反例を探した。

ランプの魔人の論理学——「も」が付くと世界が広がる

ランプの魔人が言います。「どんな願いも、ひとつだけ叶えてやろう」。願いを選ぶ前から、すべての願いが候補に入っている——この気前のよさを、論理学は全称量化と呼びます。任意の願いについて、それは叶えられうる。日常の日本語でこの「任意の」を担うのが、この連体詞と助詞「も」の組み合わせです。魔人の台詞は、論理学の教科書の例文としてそのまま使えます。

単独では、疑問の語です。「どんな本を読むの?」と尋ねるとき、話し手は種類の指定を相手に求めている。ところが「も」が付くと、問いが全称に反転します。「どんな本も面白い」は、すべての本について面白い、の意味です。疑問詞に「も」を付けて全称を作る仕組みは日本語の体系的な装置で、誰も、何も、どこも、いつも、と一族をなしています。英語の any も、疑問文と否定文と自由選択のあいだで似た二重生活を送る。問うことと、すべてを数え上げることとは、言語の設計上、存外に隣り合った仕事のようです。なお語形そのものは、「どのような」が会話の速度の中で擦り切れた縮約形とされます。五拍が三拍へ縮んで、そのぶん使用の敷居が下がりました。

否定が絡むと、この語は論理の教材として一段と冴えます。「どんな本も読まなかった」は全否定で、読んだ本は一冊もない。「すべてについて、読まない」が成り立つ読みです。では「読まなかった本もある」と言いたいときはどうか。全称を諦めて「全部は読まなかった」と外側から否定を掛け直すしかありません。「すべてが〜ない」と「すべてが〜とは限らない」。論理学がスコープと呼ぶ、否定の掛かる範囲の違いを、日本語は語形の組み替えで描き分けています。

全称には、日常の直感と食い違う性質もあります。あらゆる質問に答えます、と宣言した講演者に、質問がひとつも出なかったとする。約束は破られたでしょうか。論理学の答えは、破られていない、です。対象がひとつもなければ、全称の主張は自動的に真になる——空集合の上の全称は真、という取り決めです。誰の役にも立たなかった誓いが、論理の上では完璧に守られている。この居心地の悪さは、全称の強さが「反例の不在」だけで支えられていることから来ています。誓いを一度も試されないまま守り通した人物、という皮肉な造形は、この性質の上に立てられます。

さらに目を引くのは、数え上げの範囲です。「どんな敵が来ても引かない」。まだ来ていない敵、ついに来ないかもしれない敵までが、勘定に入っている。現実に存在する集合の上ではなく、可能性の集合の上を走る量化です。現実の目録に載っていないものを相手に、約束や覚悟を語れるのはこの装置のおかげで、反実仮想の「もし〜だったら」と地続きの領域だと言えます。目の前の事実しか語れない言語装置だけでは、誓いは立てられない。

誓いの言葉がこの語を好むのは、だから偶然ではありません。「どんなときも君の味方だ」の強度は、まだ見ぬ未来の全事例に先回りで署名してしまう、全称の強度です。そして物語は、その署名を試す一例、想定の外から来る事態を投下することで動き出す。誓いのドラマとは、論理学の言葉を借りれば、反例の探索にほかならない。

文: hakadoru.ai 編集部

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